みな人の こころもみがけ 千早ぶる 神のかゞみの くもる時なく 後醍醐天皇
後醍醐天皇
鎌倉時代後期の第九十六代天皇。
数え年三十一歳で即位なされ『増鏡(ますかがみ)』によると新政の開始とともに和歌や漢詩文、管絃の会をさかんに催し親から(みずから)笛や笙を奏し、琵琶の宝器「玄象(げんじょう)」を演奏したとあります。『太平記』には商売や往来の妨げとなる関所の新設を禁止し、また飢饉(ききん)に際しては、米価の高騰を抑え庶民の窮状を救った果敢な政治が称えられています。
さらに、「下の情(こころ)、上に通ぜざる事もあらん」と記録所へ親ら出向き、直に訴えを聞いて理非を決断したとあります。しかし一方で、門閥(もんばつ)貴族の既得権益を守ろうとした公家からは、先例を無視した政治手法や素姓性の知れない者等を政権の要職に付けるなど、家柄や門閥を顧慮しない人材登用を痛烈に批判されています。時代の要請もあり討幕を企て実現した「新しい勅裁(ちょくさい)」の政治は、二年余りで破綻・崩壊し、南北両朝が分立・抗争する時代の中、五十二歳で吉野の行宮にて崩御なされます。
後醍醐天皇の御代は、日本の政治、社会、思想、文化の一大転換期となる時代であり、表の歌はそのような背景で詠まれた御製となります。