務め終へ 歩み速めて 帰るみち
月の光は 白く照らせり 上皇陛下
宮内庁 平成19年歌会始 お題「月」
宮殿での認証官任命式をお済ませになり、御所へお帰りになる時の情景を
お詠みになった御製である。(宮内庁ホームページより)
務め終へ 歩み速めて 帰るみち
月の光は 白く照らせり 上皇陛下
宮内庁 平成19年歌会始 お題「月」
宮殿での認証官任命式をお済ませになり、御所へお帰りになる時の情景を
お詠みになった御製である。(宮内庁ホームページより)
11月2日追記
応募者多数につき、本年の募集用紙の配布は終了いたしました。
昨年に引き続き本年も正月巫女助勤の募集を行います。
○募集期間…令和7年10月21日〜令和7年11月20日迄
○申込方法…当社指定の申込用紙を授与所にてお渡ししております。
○申込条件… 令和8年1月1日時点で18才以上の方
指定の用紙に必要事項を記入して、証明写真(6㎝×5㎝)を貼付の上ご来社下さい。尚、面接(5分〜10分程度)が御座いますので、日時は御相談の上、決めさせて頂きます。
※定員になり次第、募集を締め切ります。何卒ご了承ください。
井草八幡宮 社務所
TEL03-3399-8133
人生の最大幸福は
円満なる親子・師弟の愛情より
切なるはなく
. 野口英世
野口英世
日本の医師、細菌学者。一歳半の時に左手に大やけどを負うが、恩師・友人・家族の励ましと援助を受けて苦難を克服する。左手の手術により医学のすばらしさを実感し、医学の道を志す。ロックフェラー医学研究所の研究員として主に黄熱病や梅毒の研究に従事して数々の論文を発表、ノーベル賞候補にも三度選ばれた。昭和三年、西アフリカで黄熱病の研究中に感染し死去。
世中に 人をそねむは 目に見えぬ 鬼よりもたゞ おそろしきかな 『荒木田 守武』
世の中で人を妬む心は
目に見えない鬼よりも
恐ろしいことである
『世中百首』
荒木田 守武
室町末期の伊勢皇大神宮の禰宜。神職の傍ら俳諧師、連歌師としても知られる。宗祇、宗長らに連歌を学び、『新撰菟玖波集』に入集。山崎宗鑑と共に連歌から俳諧が独立する基礎を築いた。『世中百首』は平易な教訓和歌集で伊勢論語と称えられた。
◎九月三十日(火) 宵宮
・神事
宵宮祭斎行 午後五時(本殿)
・奉納行事
井 草 囃 子 午後四時より(神楽殿・招神殿)
井草の大太鼓 午後六時より(神門前)
献 華 早朝より午後十時まで(回廊)
・神賑行事
文華殿公開 午後四時より午後九時まで
参道の出店 正午頃より午後十時頃まで
[閉門 午後十時]
◎十月一日(水) 当日
・神事
当日祭斎行 午前十時(本殿)
・奉納行事
神 楽 午前十一時より午後九時まで(神楽殿)途中休憩あり
井 草 囃 子 早朝より(招神殿)途中休憩あり
北辰一刀流 午後一時より午後三時まで(神楽殿)
井草の大太鼓 午後六時より(神門前)
献 華 早朝より午後九時まで(回廊)
・神賑行事
野 点 席 午前十一時三十分より午後四時まで(神楽殿前)
文華殿公開 午後一時より午後九時まで
参道の出店 正午頃より午後九時三十分頃まで
[閉門 午後九時三十分]
◎十月五日(日)渡御(雨天 神事中止)
・神事
発 與 式 午後二時(北祭場)
神 輿 渡 御 北祭場より桃井四丁目交差点までの青梅街道を
御先祓いの御太鼓とお囃子に先導され、神輿は担がれ
て渡御いたします。
還 幸 式 午後五時(北祭場)
・奉納行事
女子大長唄 午後(神楽殿)
拳成塾空手 午後(神門前)
[閉門 午後五時四十分頃]
◎例大祭期間中の昇殿祈願受付について
・九月三十日 終日受付不可
・十月 一日 午後二時三十分より午後四時三十分まで受付
(自動車のお祓いは受付出来ません)
やまとうたは 人の心を 種として よろづの言の葉とぞ なれりける 紀 貫之
「やまと歌」(和歌)は
人の心を種として
それがさまざまな言葉と
なったものである。
紀 貫之(きの つらゆき)
平安前期の歌人。三十六歌仙の1人。
加賀介、土佐守などを歴任、木工権守(もくのごんのかみ)に至る。
醍醐天皇の勅命で「古今和歌集」撰進の中心となり、仮名序を執筆。歌風は理知的で技巧にすぐれ、心と詞の調和、花実兼備(かじつけんび)を説いて古今調をつくりだした。
漢詩文の素養が深く、『土佐日記』は仮名文日記文学の先駆とされる。
ちはやふる 神ぞ知るらむ 民のため 世をやすかれと 祈る心は 明治天皇
御心聡い神は
きっと知ってくださる
ことであろう
国民のため安らかな
世の中であるようにと
祈っているこの心は
『明治神宮365日の大御心』(明治神宮)
樹を種うる者は必ずその根を培い
徳を種うる者は必ずその心を養う 王 陽明
樹の成長を望む者は
根がしっかりと張るよう
初めは余分な枝を刈り取り
根に栄養がいくように育てる
同じように(学問により)
徳を養いたいと望む者は
初めにしっかりと志を立て
余計な事に気がとられないように
しなければならない
王 陽明(おう ようめい)
中国、明時代中期の儒学者・政治家。
名は守仁(しゅじん)、陽明は号。武将として数々の武功をたて、学者としては朱子学に批判的な立場をとった。
その思想は「心即理(しんそくり)」「知行合一(ちこうごういつ)」などの原理をたて、実践を重んじる陽明学の創始者となった。
往き還り 足踏むごとに 産土の 神の恵みを 思へ世の人 本田親徳
家路の行き帰り その都度、大地を踏みしめて生活するものとして 大地の神様の恵みを忘れてはならない。
本田親徳(ほんだちかあつ)
明治時代の神道家。
文政五年(一八二二)一月、薩摩国川辺群加世田郷武田村(現鹿児島県南さつま市)の本田主蔵の長男として生まれた。幼少期は漢字と剣術を学ぶ。天保十年(一八三九)十八歳のとき、会沢正志斎(あいざわせいしさい)に入門。会沢門下として和漢を学び同時に平田篤胤の家にも出入りする。天保十四年、狐憑きの少女に出会い憑霊現象を実見。それ以来、霊学研究を始め、神霊を感合する道を求めた。