四月の生命の言葉

遠きに行くには 必ず近きよりす 『中庸』

高い目標を実現するためには

できることから一つずつ順を追って

進まなければならない


『中庸』(ちゅうよう)

儒教の基本的な経書『四書』の一つ。

もともとは中国・戦国時代の思想書『礼記』の一遍であり、

天と人が一体であるという天人合一(てんじんごういつ)を説き、

「中庸とは徳の至れるものなり」とその徳と誠の道とを強調している。

心のありよう、儒学、陽明学が説く心とは何かが書かれている。

中庸とは極端に偏らず、常に変わらず調和がとれていることをいう。

三月の生命の言葉

良馬は毛にあらず 士たるはその志にあり  尾藤 二洲

人が尊敬を受けるのは
その外見ではなく
人格・人柄という
心の持ち方(志)によって
決まるのである

   『静寄軒集(せいきけんしゅう)』


尾藤 二洲(びとう じしゅう/にしゅう)

江戸後期の儒学者。別号は約山・静奇軒。伊予国川之江の出身。幼少時に足を悪くするが、学問で身を立てることをこころざし、大坂に出て学問に励むとともに私塾を開き朱子学の普及に努め、幕府の学問所・昌平黌(しょうへいこう)の教授を約二十年間務めた。柴野栗山・古賀精里とともに寛政の三博士と呼ばれる。

十二月の生命の言葉

人の行ふべきかぎりをば 行ふが 人の道 本居宣長 

自分の出来ることを一生懸命にやる
報われる報われないは人の力の及ばないこと
このことを心得て大いなる事にあたるべし 『玉くしげ』

本居宣長
江戸時代の国学者・文献学者・医師。伊勢国(三重県)松坂の人。
二十二歳で医学の修行のため京都へ遊学し儒学・古典等を修め国学の道に入る事を志す。
松坂に帰り診療所を開業、そのかたわら源氏物語、古事記などの古典文学の注釈や漢字音文法などの
国語学的研究にすぐれた業績を残した。
『玉くしげ』は古典に基づく政治原理をまとめ紀州藩主・徳川治貞(とくがわ はるさだ)に献上したもの。

十一月の生命の言葉

御社の 静けき中に 聞え来る 歌声ゆかし 新嘗の祭  今上陛下
—―宮内庁 平成二十六年歌会始 お題「静」

 皇太子殿下には、天皇陛下にお供をされ、毎年十一月二十三日から二十四日にかけて皇居神嘉殿で行われる新嘗祭にお出ましになっています。このお歌は、その折、静まり返った神嘉殿のお社の中で、外から聞こえる楽部の奏でる神楽の音色に深い趣を感じられてお詠みになられたものです。  (平成二十六年歌会始 宮内庁解説より引用)

 

正月巫女助勤募集のお知らせ

 昨年に引き続き本年も正月巫女助勤の募集を行います。

○募集期間…令和5年10月21日〜令和5年11月20日迄

○申込方法…当社指定の申込用紙を授与所にてお渡ししております。

○申込条件… 令和6年1月1日時点で18才以上の方

指定の用紙に必要事項を記入して、証明写真(6㎝×5㎝)を添えてご来社下さい。尚、面接(5分〜10分程度)が御座いますので、日時は御相談の上、決めさせて頂きます。

 なお、緊急事態宣言等が発令された場合は、巫女装束を着用しないでの勤務となる可能性がございます。あらかじめご了承ください。

※定員になり次第、募集を締め切ります。何卒ご了承ください。

井草八幡宮 社務所

TEL03-3399-8133

十月の生命の言葉

積善の家には必ず余慶あり 積不全の家には必ず余殃あり

善事を積み重ねた家には子々孫々まで慶福を招き
不善を積み重ねた家には後世まで災禍が訪れる 『易経』

易経

およそ三千五百年前に完成した中国の書物。四書五経の一書。
易とは卜筮(ぼくぜい)に用いられたものだが易経という書物には中国の数千年の歴史の中の何千万例もの事例を統計的に整理してあり、人間処世上の指針教訓としてみられるようになった。孔子の思想と似たものも多くあり、孟子の学派が占いの書だったものを理論化し儒教の教典として編纂したものと考えられる。

 

令和5年 井草八幡宮例大祭日程

九月三十日(土) 宵宮

  • 神事
    宵宮祭斎行  午後五時(本殿)
  • 奉納行事
    井 草 囃 子   午後四時より(神楽殿・招神殿)
    井草の大太鼓 午後六時より(神門前)
    献 華    早朝より午後十時まで(回廊)
  • 神賑行事
    文華殿公開  午後四時より午後九時まで
    参道の出店  正午頃より午後十時頃まで
                                  [閉門 午後十時]

十月一日(日) 当日

  • 神事
    当日祭斎行  午前十時(本殿)
  • 奉納行事

    神 楽    午前十一時より午後九時まで(神楽殿)途中休憩あり
    井 草 囃 子   早朝より(招神殿)途中休憩あり

    北辰一刀流  午後一時より午後三時まで(神楽殿)
    井草の大太鼓 午後六時より(神門前)

    拳成塾空手  時間未定拳成塾空手  午後(神門前)
    献 華    早朝より午後九時まで(回廊)

  • 神賑行事
    野  点  席  午前十一時三十分より午後四時まで(神楽殿前)
    文華殿公開  午後一時より午後九時まで
    参道の出店  正午頃より午後九時三十分頃まで
                                  [閉門 午後十時]

 

十月八日(日)神幸祭(雨天中止)

  • 神事
    発 與 祭   午前九時二十分(北祭場)
    御 神 幸   神霊を神輿に奉安し、行列をもって氏子内を渡御します。

     還 幸 祭   午後四時(北祭場)

 

  • 奉納行事

     こども神楽・武楽  午後(神楽殿)

                              [閉門 午後五時頃]

 

  • 例大祭期間中の昇殿祈願受付について

   ※九月三十日 終日受付不可
     十月  一日 午後二時三十分より午後四時三十分まで受付(自動車のお祓いは受付出来ません)

九月の生命の言葉

徳に勤むる者は これを求めずして 財おのずから生ず 西郷隆盛

誠実な姿勢と言動、人を思いやる心と行動、これら徳を積むことを心掛けている人には自然と財力が生じるものである。『西郷言行録』

西郷隆盛

幕末維新期、薩摩出身の武士、政治家。戊辰戦争では薩摩藩の軍事を指揮し、江戸城無血開城を実現させた。明治四年、参議に就任するが政府首脳と衝突して下野。明治十年、西郷が設立に携る私学校の生徒が起こした事件を発端に擁せられ、西南戦争へと発展。政府軍と戦うも敗れ、九月二十四日鹿児島県山城にて腹心に介錯を頼み自害した。