五月の生命の言葉

人こそ人の鏡

書経しょきょう』 


他人の言動は鏡に自分をうつす鏡のようなものであるから、他人を見て自分を改める参考にせよということ。この言葉は、『書経』の『人は水にかんがみるなく、まさに民において鑑みるべし』に基づいていると云われている。


作者不明 

『書経』は五経ごきょうえきしょらい春秋しゅんじゅう)のひとつである。中でも『書経』は『詩経』と並んで古くから「詩書ししょ」と併称された最も基本的な文献であり、古くは『尚書しょうしょ』とも称された古典中の古典ともいうべき文献である。
虞書ぐしょ夏書げしょ商書しょうしょ周書しゅうしょの四部に分かれており、内容は政治上の心構えを訓戒くんかいしたものである。

四月の生命の言葉

教うるは学ぶの半ばなり

礼記らいき』 戴聖たいせい  


学びの本質を突いた言葉である。他人に教えるという行為を通じて、自分自身の理解を深め、より高度な知識へと進んでいけるという教訓である。


礼記らいき』  戴聖たいせい 

戴聖(生没年不詳)は前漢末から新代にかけての儒学者で、『礼記』の標準形を整えた編纂者へんさんしゃである。叔父とされる戴徳たいとくが編んだ『大戴礼記だいたいらいき』八十五編を整理・簡略化し、四十九編の『小戴礼記しょうたいらいき』としてまとめた。これが現在伝わる『礼記※』である。独自の学説を立てた人物ではないが、儒教礼学の文献を体系的に整理し構成の礼学発展に大きく貢献した。

※戴聖の編纂へんさんした『礼記』は唐以降、正式な儒教教典とされた書物で、礼法れいほう礼儀れいぎを体系的にまとめた古典である。作成は戦国~前漢期に成立した書物と言われている。冠婚葬祭や政治・教育に関わる実践法だけでなく、礼の哲学的意義も説いている。

三月の生命の言葉

困れ。困らなきゃ何もできない。
本田宗一郎  


困ったときは何かを変えるチャンスがあると考えよう。
安定した状態ではなかなかできない考え方や行動も、困って追い込まれるとやらざるを得なくなくなる。そのきっかけを逃がさないようにしていこう。


本田宗一郎
本多技研工業株式会社の設立者。祖父や父親の影響で機械が好き、物を作るのが好き、大きな爆発音を立てるエンジンが大好き、自分のやりたいようにやりたがるこどもだった。現場・現実・現物を重視する三現主義、造って喜び・売って喜び・買って喜ぶの三点主義を仕事のモットーとして掲げ、「技術の本田」「販売の藤澤」と称された藤沢武夫と共に昭和三十三年画期的小型バイクのスーパーカブを発売、世界的ベストセラーとなり知名度を上げる。昭和四十六年の退任まで世界のホンダの礎を築く。

二月の生命の言葉

旅先に 出会ひし子らは 語りたる 目見輝かせ 未来の夢を  今上陛下
—宮内庁 令和七年歌会始 お題「夢」—  


ご訪問先で県民の方々と触れ合われる中で、子どもたちとお話しをされることもあり、その子どもさんたちが、自分の将来の夢について生き生きと話す様子を嬉しくお思いになり、その時のご印象を詠まれたものです。
(宮内庁ホームページより引用)


今上陛下
第百二十六代天皇。昭和三十五年(一九六〇)生まれで、上皇陛下の長男としてお生まれになり、令和元年(二〇一九)五月一日、上皇陛下の譲位を受けて即位されました。学習院大学卒業後、オックスフォード大学に留学され、水問題など国際的な課題に関心を持ち続けてこられました。皇后陛下と共に、公務を通じて国民との交流や国際親善に力を注ぎ、常に平和と人々の幸せを願う姿勢を大切にされておられます。

一月の生命の言葉

わがくには 神のすゑなり 神まつる 昔のてぶり わするなよゆめ  明治天皇   


我が国は、神の後裔である。神を祭るという昔からの習わしを、決して疎かにしてはいけない。
『明治神宮365日の大御心』(明治神宮)


明治天皇
嘉永五年(一八五二)~明治四十五年(一九一二)。第百二十二代天皇。近代の日本の指導者として、立憲政治の確立、産業の発展、国民教育の普及・文化の向上等に尽くされ、新しい日本の姿を示された。また、和歌を好まれ、九万三千首の御製をお詠みになられた。

一月の生命の言葉

ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ  昭和天皇


ふりつもる雪にも耐えて色を変えない松の

なんと雄々しいことか人もこのようにありたいものだ