正月巫女助勤募集のお知らせ

昨年に引き続き本年も正月巫女助勤の募集を行います。

○募集期間…令和8年10月20日〜令和8年11月20日迄

○申込方法…当社指定の申込用紙を授与所にてお渡ししております。

○申込条件… 令和9年1月1日時点で18才以上の方

指定の用紙に必要事項を記入して、証明写真(4×3㎝から6×5㎝)を貼付の上ご来社下さい。尚、面接(5分〜10分程度)が御座いますので、日時は御相談の上、決めさせて頂きます。
※定員になり次第、募集を締め切ります。何卒ご了承ください。

井草八幡宮 社務所

TEL03-3399-8133

十月の生命の言葉

山々の 露あつまりし 谷川の ながれ尽きせぬ おとぞ楽しき

二宮 尊徳


常陸国青木村に出張のころ、筑波山を読んだ歌。筑波山は大鳥居の額に「天地開闢筑波神社」とあり山上に二嶺あり、伊邪那岐命鎮座の方を男体山といい、伊邪那美命を祀れる女体山という。この二嶺の間より流れ落ちるのを美那の川といい、この二嶺を山々と読んだ。
人の道は伊邪那岐伊邪那美の二神より始まって今日の我々まで絶えることなく続き、皆その末であればそれを谷川にたとえ、その流れが尽きることなく繁栄していくことは、この上なく楽しく嬉しいものである。そうであれば、皇祖天神は我々の大祖神であられるから仰ぎ尊ばないではいられない。


二宮 尊徳 

幕末の農政家・思想家。天明七年七月、相模国足柄上郡栢山村(現、小田原市)

令和八年 井草八幡宮例大祭日程

◎九月三十日(水) 宵宮
・神事
 宵宮祭斎行  午後五時(本殿)

・奉納行事
 井 草 囃 子   午後四時より(神楽殿・招神殿)
 井草の大太鼓 午後六時より(神門前)
 献 華    早朝より午後十時まで(回廊)

・神賑行事
 文華殿公開  午後四時より午後九時まで
 参道の出店  正午頃より午後十時頃まで
                  [閉門 午後十時]

◎十月一日(木) 当日
・神事
 当日祭斎行  午前十時(本殿)

・奉納行事
 神 楽    午前十一時より午後九時まで(神楽殿)途中休憩あり
 井 草 囃 子   早朝より(招神殿)途中休憩あり
 北辰一刀流  午後一時より午後三時まで(神楽殿)
 井草の大太鼓 午後六時より(神門前)
 献 華    早朝より午後九時まで(回廊)

・神賑行事
 野  点  席  午前十一時三十分より午後四時まで(神楽殿前)
 文華殿公開  午後一時より午後九時まで
 参道の出店  正午頃より午後九時三十分頃まで
                  [閉門 午後九時三十分]

◎十月十八日(日)神幸祭(雨天 神事中止)
・神事
 発 與 祭  正午(北祭場)
 神 輿 渡 御   神霊を神輿車に奉安し、行列をもって
氏子内を渡御いたします。
 還 幸 祭  午後三時四十分(北祭場)

・奉納行事
 拳成塾空手  午後二時(神門前)
女子大長唄  午後二時(神楽殿)
[閉門 午後五時頃]

◎例大祭期間中の昇殿祈願受付について
・九月三十日  終日受付不可
・十月  一日  終日受付不可

九月の生命の言葉

松が枝えの 直すぐなる心 保ちたし 柳の糸の なべて世の中

大岡 忠相ただすけ


柳の枝のように世の中はゆらゆら移り変わるが、松の枝のように真っ直ぐな心を持ち続けたい。
名奉行として名高い大岡忠相は江戸幕府の行政官として激職であった。
妥協を重ねなければならない役職ではあるが、譲れない部分は譲れないという覚悟がこの言葉からも読める。


大岡 忠相ただすけ 

一六七七年旗本の家に生まれる。二四歳で家督を継承すると順調に出世を続け、三六歳で伊勢山田奉行に就任。その後普請ふしん奉行となり、八代将軍吉宗の時に四一歳という異例の若さで江戸町奉行に登用される。吉宗が着手した「享保きょうほうの改革」の中心人物の一人として、さまざまな政策に取り組み、江戸の機能を強化した。六〇歳で寺社奉行に就任。七二歳で大名となる。吉宗が没した半年後、七六歳で亡くなる。

八月の生命の言葉

努力は天命さえも変える

福沢 諭吉


天命とは身に備わってしまって変えようにも代えられない運命のこと。しかし、努力をすればそれすら変えることが出来る。努力することの大切さを訴えている。


福沢 諭吉

一八三五(天保五)年に大阪の中津藩蔵屋敷で、福澤百助ひゃくすけの次男として生まれた。一四、五歳より儒学者白石照山しょうざんの塾に入り、一九歳の時蘭学を志して長崎に遊学、翌年からは大阪の緒方洪庵こうあんの適塾てきじゅく(正式名称:滴々齊塾てきてきせいじゅく)で猛勉強に励んだ。ニ三歳には、藩命により江戸の中津藩中屋敷に蘭学塾を開く。二五歳で渡米。以後、ヨーロッパ諸国も歴訪し、社会の制度や考え方などに旺盛な好奇心で見聞を広めた。一八六八(慶應四)年、三三歳の時、江戸・築地の蘭学塾を芝(港区)に移して、当時の年号にちなみ「慶應義塾」と名付け設立した。その後『西洋事情』『学問のすゝめ』『文明論之概略』などを続々と著し、当時の日本人に西洋文明の精神を伝えた。

 

七月の生命の言葉

人は乃すなわち天下の神物しんもつなり

  須すべからく静謐せいひつを掌つかさどるべし

渡会わたらい 行忠ゆきただ


人間というものは神からの賜りものであるからこそ、社会の安寧と平和を守り、その維持を実現していく責任がある。


渡会わたらい 行忠ゆきただ 

鎌倉末期の神道家で、伊勢神宮外宮の神官。神を仏より上位とする「伊勢神道」を体系化し、神道の独立性を主張。後の神道思想に大きな影響を与えた。

六月の生命の言葉

やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず

山本五十六いそろく


たとへ完璧でなかったとしても、相手が仕事をしている姿を感謝の気持ちで見守ろう。信頼しないと、人は実らない


山本五十六いそろく 

大東亜戦争開戦時の連合艦隊司令長官、山本五十六の言葉。書き物で残したのではなく、郷里新潟県長岡の禅寺「堅正寺けんしょうじ」の住職、橋本禅巖ぜんがんが後に講演で紹介したと言われている。
有名な「やって見せ・・・」に続いて「話し合い、耳を傾け承認し、任せてやらねば人は育たず」と有り、最後に本文が続く。

五月の生命の言葉

人こそ人の鏡

『書経しょきょう』 


他人の言動は鏡に自分をうつす鏡のようなものであるから、他人を見て自分を改める参考にせよということ。この言葉は、『書経』の『人は水に鑑かんがみるなく、當まさに民に于おいて鑑みるべし』に基づいていると云われている。


作者不明 

『書経』は五経ごきょう(易えき・書しょ・詩し・礼らい・春秋しゅんじゅう)のひとつである。中でも『書経』は『詩経』と並んで古くから「詩書ししょ」と併称された最も基本的な文献であり、古くは『尚書しょうしょ』とも称された古典中の古典ともいうべき文献である。
虞書ぐしょ、夏書げしょ、商書しょうしょ、周書しゅうしょの四部に分かれており、内容は政治上の心構えを訓戒くんかいしたものである。