九月の生命の言葉

「たなつもの 百の木草も 天照らす 日の大神の めぐみえてこそ」本居宣長
稲や五穀、多くの草木に至るまですべて太陽が照らして万物の成長を促してくれるお蔭である。食事をする時には天照大御神の広大無辺の御神徳を思い感謝して頂きましょう。

本居宣長(もとおり のりなが)
一七三〇〜一八〇一年。江戸時代後期の国学者。三重県松阪市の生まれ。医師をするかたわら日本の古典を研究し、約三十五年をかけて古事記の注釈書『古事記伝』を著した。荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに国学の四大人とされる。

東京都神社庁『生命の言葉』より

八月の生命の言葉

「和を以て貴しと為す」聖徳太子
お互い和の心を以て仲良く努めることが最も尊いことである。

聖徳太子(しょうとくたいし)
五七四〜六二二年。用明天皇の第二皇子で、推古天皇の摂政として政治に携わった。冠位十二階や十七条憲法を制定し、また遣隋使を派遣して積極的に大陸文化を取り入れるなど国政の改革と文化の興隆に力を尽くした。

東京都神社庁「生命の言葉」より

七月の生命の言葉

「今日用うるところの材木は則ち前人の植うる所。然らば則ち安ぞ後人のために之を植えざるを得ん。」二宮尊徳
今日用いている材木は我々のご先祖様が植えてくださったもの。そうであるならばどうして我々が未来の子孫のために材木を植えないことがあろうか。何かを残さなくてはいけない。

二宮尊徳(にのみや そんとく)
一七八七〜一八五六年。江戸時代後期の農政家。通称金次郎。天地人三才の徳に報いることを説く報徳思想を唱え、農村の復興を指導した。明治以降は勤勉節約の模範人物として評価されている。

東京都神社庁「生命の言葉」より

六月の生命の言葉

「ちはやぶる 神の御坂に 幣まつり いはふ命は 父母のため」  神人部子忍男
荒ぶる神のいらっしゃる神坂峠にお供えをして道中の安全と無事帰還を祈るのは、自分のためではない。命を授けてくれた父母のためである。

神人部子忍男(みわひとべのこ おしお)
天平勝宝七(七五五)年、防人として厳しい任務を帯びて九州に派遣される折、東国と西国をつなぐ東山道の最大の難所である神坂峠で、故郷で自分の帰りを待つ両親を思って歌ったと言われている。

東京都神社庁「生命の言葉」より

一月の生命の言葉

「しきしまの大和心のおおしさはことある時ぞあらわれにける」 明治天皇
明治三十七年、日露戦争の折に詠まれた御製。苦難のときにこそ日本国民の雄々しさはあらわれる。一致団結し凛としてみんなで乗り越えよという励ましの御心が込められている。

明治天皇(明治天皇)
一八五二〜一九一二年。第百二十二代天皇。近代日本の指導者として産業の発展・国民教育の普及・文化の向上につくされ、新しい日本の姿を示された。また、和歌を好まれ、九万三千余首の御製をお詠みになられた。

東京都神社庁「生命の言葉」より

五月の生命の言葉

「是非の初心を忘るべからず 時々の初心を忘るべからず 老後の初心を忘るべからず」 世阿弥
物事をはじめた未熟なころの初心を忘れてはいけない。それぞれの成長段階における初心を忘れてはいけない。老境に入った時の初心を忘れてはいけない。人生は常に新しい初心との遭遇で、これら初心の積み重ねが無限の可能性につながるのである。

世阿弥(ぜあみ)
一三六三〜一四四三年。室町前期の能役者。室町幕府の保護を受け父である観阿弥と共に猿楽能を完成させた。また能の脚本である謡曲を数多く記し、『風姿花伝』をはじめ優れた能楽の芸術評論書を著して能の神髄を明らかにした。

東京都神社庁「生命の言葉」より

四月の生命の言葉

「人を信じよ。しかし、その百倍も自らを信じよ。」手塚治虫
「時によっては信じ切っていた人々に裏切られることもある。そんなとき、自分自身が強い楯であり、味方であることが、絶望を克服できる唯一の道なのだ。」と続く。 出典『手塚治虫 未来へのことば』

手塚治虫(てづかおさむ)
一九二八〜一九八九年。漫画家。『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』等数多くのヒット作を発表。生涯、第一線で漫画を書き続け、漫画の神様と評された。晩年は思想的、政治的要素を盛り込んだ作品も数多く発表し、漫画の文化的地位の向上にも大きく貢献した。

東京神社庁「生命の言葉」より

四月の生命の言葉

「人を信じよ。しかし、その百倍も自らを信じよ。」手塚治虫
「時によっては信じ切っていた人々に裏切られることもある。そんなとき、自分自身が強い楯であり、味方であることが、絶望を克服できる唯一の道なのだ。」と続く。 出典『手塚治虫 未来へのことば』

手塚治虫(てづかおさむ)
一九二八〜一九八九年。漫画家。『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』等数多くのヒット作を発表。生涯、第一線で漫画を書き続け、漫画の神様と評された。晩年は思想的、政治的要素を盛り込んだ作品も数多く発表し、漫画の文化的地位の向上にも大きく貢献した。

東京神社庁「生命の言葉」より

三月の生命の言葉

「天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけにはいかない。」 寺田 寅彦
どんな科学の力でも天災ばかりは止められない。平成二十三年の東日本大震災を始め、様々な天災によって失われた命を偲び、その記憶を忘れず教訓とし、未来に役立てること。また被災者と共に皆で助け合い、早期復興を遂げることが大切です。

寺田 寅彦(てらだ とらひこ)
一八七八〜一九三五年。帝国大学教授、物理学者。現在の東大地震研究所の創設に貢献した。また夏目漱石と親交が深く、随筆、俳句などでも優れた作品を残した。漱石の『吾輩は猫である』の先生や『三四郎』のモデルとも言われる。

東京都神社庁「生命の言葉」より

三月の生命の言葉

「天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけにはいかない。」 寺田 寅彦
どんな科学の力でも天災ばかりは止められない。平成二十三年の東日本大震災を始め、様々な天災によって失われた命を偲び、その記憶を忘れず教訓とし、未来に役立てること。また被災者と共に皆で助け合い、早期復興を遂げることが大切です。

寺田 寅彦(てらだ とらひこ)
一八七八〜一九三五年。帝国大学教授、物理学者。現在の東大地震研究所の創設に貢献した。また夏目漱石と親交が深く、随筆、俳句などでも優れた作品を残した。漱石の『吾輩は猫である』の先生や『三四郎』のモデルとも言われる。

東京都神社庁「生命の言葉」より