九月の生命の言葉

徳に勤むる者は これを求めずして 財おのずから生ず 西郷隆盛

誠実な姿勢と言動、人を思いやる心と行動、これら徳を積むことを心掛けている人には自然と財力が生じるものである。『西郷言行録』

西郷隆盛

幕末維新期、薩摩出身の武士、政治家。戊辰戦争では薩摩藩の軍事を指揮し、江戸城無血開城を実現させた。明治四年、参議に就任するが政府首脳と衝突して下野。明治十年、西郷が設立に携る私学校の生徒が起こした事件を発端に擁せられ、西南戦争へと発展。政府軍と戦うも敗れ、九月二十四日鹿児島県山城にて腹心に介錯を頼み自害した。

 

七月の生命の言葉

人間のやったことは 人間がまだやれることの 百分の一にすぎない 豊田 佐吉

人間の発明にはまだ多くの可能性が秘められている

豊田佐吉

明治・大正期の発明家・事業家。遠江(現在の静岡県)生まれ。能率の悪い手織り機を改良する事で人々の役に立てると考え、明治二三年「木製人力織機」、明治二七年「糸繰返機」、明治三十年「木鉄混製動力織機」を発明。大正七年豊田紡績(現トヨタ紡績)を設立。その後のトヨタグループの礎を築いた。

六月の生命の言葉

いそのかみ 古きためしを たづねつつ 

新しき世の こともさだめむ   明治天皇

わが国の 古来より伝わる先例の もとつ心を探り求めながら

新しい時代の さまざまなことも 定めてゆこう 『明治の聖代』(明治神宮)

五月の生命の言葉

習ひつつ 見てこそ習へ 習はずに

善悪(よしあし)いふは 愚なりけれ      千利休

人から正しく習わずに
あらゆる物事に対して
自己流で善し悪しを
決めてしまうことは
勿体(もったい)ないことだ
『利休百首』

千 利休
安土桃山時代の茶人。堺で魚問屋を営む田中与兵衛の子として生まれる。村田珠光、武野紹鴎の流れをくみ、自らのわび草庵の茶を融合して茶の湯を道として大成し、茶道盛行の基を築いた。利休の居士(こじ)号は、豊臣秀吉が正親町(おおぎまち)天皇にお茶を献じるにあたり、勅許により授かったものである。

四月の生命の言葉

人の巧(こう)を取って我が拙(せつ)を捨て人の長を取って我が短(たん)を補う 木戸孝允
ほかの人の良いところを取り入れ自分の欠点を補うことが大切である 『吉田松陰宛書翰』

木戸孝允
天保四年長州で藩医和田家に生れ天保十一年、藩士桂九郎兵衛の養子となる。嘉永二年吉田松陰に兵学を学び、その後江戸に遊学、洋式兵術造船術、蘭学などを学ぶ。
慶応二年薩長同盟を結び、その後幕府軍との戦いで勝利を収める。
明治元年、太政官に出仕、五箇条誓文の起草に関与。版籍奉還、廃藩置県などに主導的役割を果たした。

三月の生命の言葉

春風(しゅんぷう)を以って人に接し 秋霜(しゅうそう)を以って自ら粛(つつし)む 佐藤一斎
他人には春風のような暖かさで接し秋の霜のような厳しさで自己反省する  『言志後録』−『言志四緑』の一書

佐藤一斎
江戸時代後期の儒者。人物としては博識・温厚篤実、朱子学のみならず陽明学にも長けており陽朱陰王(ようしゅいんおう)とも呼ばれた。
一斎の思想は己れを律する姿勢を窺わしめるものとして幕末武士の間で名声高く、門人には渡辺崋山・佐久間象山など多数おり
著書『言志後録』から影響を受けた人物に吉田松陰・西郷隆盛がいる。

二月の生命の言葉 並びに令和5年 節分のご案内

世の中のことはすべて心の持ちよう一つでどうにでもなる                      渋沢栄一

○豆撒式
本年も中止とさせていただきます。

○福豆頒布
2月1日現在 授与所にて頒布しております。
早期終了の可能性もございます、ご了承ください。