御社の 静けき中に 聞え来る 歌声ゆかし 新嘗の祭 今上陛下
—―宮内庁 平成二十六年歌会始 お題「静」
皇太子殿下には、天皇陛下にお供をされ、毎年十一月二十三日から二十四日にかけて皇居神嘉殿で行われる新嘗祭にお出ましになっています。このお歌は、その折、静まり返った神嘉殿のお社の中で、外から聞こえる楽部の奏でる神楽の音色に深い趣を感じられてお詠みになられたものです。 (平成二十六年歌会始 宮内庁解説より引用)
御社の 静けき中に 聞え来る 歌声ゆかし 新嘗の祭 今上陛下
—―宮内庁 平成二十六年歌会始 お題「静」
皇太子殿下には、天皇陛下にお供をされ、毎年十一月二十三日から二十四日にかけて皇居神嘉殿で行われる新嘗祭にお出ましになっています。このお歌は、その折、静まり返った神嘉殿のお社の中で、外から聞こえる楽部の奏でる神楽の音色に深い趣を感じられてお詠みになられたものです。 (平成二十六年歌会始 宮内庁解説より引用)
昨年に引き続き本年も正月巫女助勤の募集を行います。
○募集期間…令和5年10月21日〜令和5年11月20日迄
○申込方法…当社指定の申込用紙を授与所にてお渡ししております。
○申込条件… 令和6年1月1日時点で18才以上の方
指定の用紙に必要事項を記入して、証明写真(6㎝×5㎝)を添えてご来社下さい。尚、面接(5分〜10分程度)が御座いますので、日時は御相談の上、決めさせて頂きます。
なお、緊急事態宣言等が発令された場合は、巫女装束を着用しないでの勤務となる可能性がございます。あらかじめご了承ください。
※定員になり次第、募集を締め切ります。何卒ご了承ください。
井草八幡宮 社務所
TEL03-3399-8133
積善の家には必ず余慶あり 積不全の家には必ず余殃あり
善事を積み重ねた家には子々孫々まで慶福を招き
不善を積み重ねた家には後世まで災禍が訪れる 『易経』
易経
およそ三千五百年前に完成した中国の書物。四書五経の一書。
易とは卜筮(ぼくぜい)に用いられたものだが易経という書物には中国の数千年の歴史の中の何千万例もの事例を統計的に整理してあり、人間処世上の指針教訓としてみられるようになった。孔子の思想と似たものも多くあり、孟子の学派が占いの書だったものを理論化し儒教の教典として編纂したものと考えられる。
九月三十日(土) 宵宮
十月一日(日) 当日
神 楽 午前十一時より午後九時まで(神楽殿)途中休憩あり
井 草 囃 子 早朝より(招神殿)途中休憩あり
北辰一刀流 午後一時より午後三時まで(神楽殿)
井草の大太鼓 午後六時より(神門前)
拳成塾空手 時間未定拳成塾空手 午後(神門前)
献 華 早朝より午後九時まで(回廊)
十月八日(日)神幸祭(雨天中止)
還 幸 祭 午後四時(北祭場)
こども神楽・武楽 午後(神楽殿)
[閉門 午後五時頃]
※九月三十日 終日受付不可
十月 一日 午後二時三十分より午後四時三十分まで受付(自動車のお祓いは受付出来ません)
徳に勤むる者は これを求めずして 財おのずから生ず 西郷隆盛
誠実な姿勢と言動、人を思いやる心と行動、これら徳を積むことを心掛けている人には自然と財力が生じるものである。『西郷言行録』
西郷隆盛
幕末維新期、薩摩出身の武士、政治家。戊辰戦争では薩摩藩の軍事を指揮し、江戸城無血開城を実現させた。明治四年、参議に就任するが政府首脳と衝突して下野。明治十年、西郷が設立に携る私学校の生徒が起こした事件を発端に擁せられ、西南戦争へと発展。政府軍と戦うも敗れ、九月二十四日鹿児島県山城にて腹心に介錯を頼み自害した。
夏の日に 咲き広ごれる 稲の花
実りの秋へと 明るみてくる 皇嗣殿下
宮内庁 令和三年歌会始 お題「実」
人間のやったことは 人間がまだやれることの 百分の一にすぎない 豊田 佐吉
人間の発明にはまだ多くの可能性が秘められている
明治・大正期の発明家・事業家。遠江(現在の静岡県)生まれ。能率の悪い手織り機を改良する事で人々の役に立てると考え、明治二三年「木製人力織機」、明治二七年「糸繰返機」、明治三十年「木鉄混製動力織機」を発明。大正七年豊田紡績(現トヨタ紡績)を設立。その後のトヨタグループの礎を築いた。
いそのかみ 古きためしを たづねつつ
新しき世の こともさだめむ 明治天皇
わが国の 古来より伝わる先例の もとつ心を探り求めながら
新しい時代の さまざまなことも 定めてゆこう 『明治の聖代』(明治神宮)
習ひつつ 見てこそ習へ 習はずに
善悪(よしあし)いふは 愚なりけれ 千利休
人から正しく習わずに
あらゆる物事に対して
自己流で善し悪しを
決めてしまうことは
勿体(もったい)ないことだ
『利休百首』
千 利休
安土桃山時代の茶人。堺で魚問屋を営む田中与兵衛の子として生まれる。村田珠光、武野紹鴎の流れをくみ、自らのわび草庵の茶を融合して茶の湯を道として大成し、茶道盛行の基を築いた。利休の居士(こじ)号は、豊臣秀吉が正親町(おおぎまち)天皇にお茶を献じるにあたり、勅許により授かったものである。