五月の生命の言葉

「是非の初心を忘るべからず 時々の初心を忘るべからず 老後の初心を忘るべからず」 世阿弥
物事をはじめた未熟なころの初心を忘れてはいけない。それぞれの成長段階における初心を忘れてはいけない。老境に入った時の初心を忘れてはいけない。人生は常に新しい初心との遭遇で、これら初心の積み重ねが無限の可能性につながるのである。

世阿弥(ぜあみ)
一三六三〜一四四三年。室町前期の能役者。室町幕府の保護を受け父である観阿弥と共に猿楽能を完成させた。また能の脚本である謡曲を数多く記し、『風姿花伝』をはじめ優れた能楽の芸術評論書を著して能の神髄を明らかにした。

東京都神社庁「生命の言葉」より

一月の生命の言葉

「しきしまの大和心のおおしさはことある時ぞあらわれにける」 明治天皇
明治三十七年、日露戦争の折に詠まれた御製。苦難のときにこそ日本国民の雄々しさはあらわれる。一致団結し凛としてみんなで乗り越えよという励ましの御心が込められている。

明治天皇(明治天皇)
一八五二〜一九一二年。第百二十二代天皇。近代日本の指導者として産業の発展・国民教育の普及・文化の向上につくされ、新しい日本の姿を示された。また、和歌を好まれ、九万三千余首の御製をお詠みになられた。

東京都神社庁「生命の言葉」より

四月の生命の言葉

「人を信じよ。しかし、その百倍も自らを信じよ。」手塚治虫
「時によっては信じ切っていた人々に裏切られることもある。そんなとき、自分自身が強い楯であり、味方であることが、絶望を克服できる唯一の道なのだ。」と続く。 出典『手塚治虫 未来へのことば』

手塚治虫(てづかおさむ)
一九二八〜一九八九年。漫画家。『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』等数多くのヒット作を発表。生涯、第一線で漫画を書き続け、漫画の神様と評された。晩年は思想的、政治的要素を盛り込んだ作品も数多く発表し、漫画の文化的地位の向上にも大きく貢献した。

東京神社庁「生命の言葉」より

四月の生命の言葉

「人を信じよ。しかし、その百倍も自らを信じよ。」手塚治虫
「時によっては信じ切っていた人々に裏切られることもある。そんなとき、自分自身が強い楯であり、味方であることが、絶望を克服できる唯一の道なのだ。」と続く。 出典『手塚治虫 未来へのことば』

手塚治虫(てづかおさむ)
一九二八〜一九八九年。漫画家。『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』等数多くのヒット作を発表。生涯、第一線で漫画を書き続け、漫画の神様と評された。晩年は思想的、政治的要素を盛り込んだ作品も数多く発表し、漫画の文化的地位の向上にも大きく貢献した。

東京神社庁「生命の言葉」より

三月の生命の言葉

「天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけにはいかない。」 寺田 寅彦
どんな科学の力でも天災ばかりは止められない。平成二十三年の東日本大震災を始め、様々な天災によって失われた命を偲び、その記憶を忘れず教訓とし、未来に役立てること。また被災者と共に皆で助け合い、早期復興を遂げることが大切です。

寺田 寅彦(てらだ とらひこ)
一八七八〜一九三五年。帝国大学教授、物理学者。現在の東大地震研究所の創設に貢献した。また夏目漱石と親交が深く、随筆、俳句などでも優れた作品を残した。漱石の『吾輩は猫である』の先生や『三四郎』のモデルとも言われる。

東京都神社庁「生命の言葉」より

三月の生命の言葉

「天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけにはいかない。」 寺田 寅彦
どんな科学の力でも天災ばかりは止められない。平成二十三年の東日本大震災を始め、様々な天災によって失われた命を偲び、その記憶を忘れず教訓とし、未来に役立てること。また被災者と共に皆で助け合い、早期復興を遂げることが大切です。

寺田 寅彦(てらだ とらひこ)
一八七八〜一九三五年。帝国大学教授、物理学者。現在の東大地震研究所の創設に貢献した。また夏目漱石と親交が深く、随筆、俳句などでも優れた作品を残した。漱石の『吾輩は猫である』の先生や『三四郎』のモデルとも言われる。

東京都神社庁「生命の言葉」より

二月の生命の言葉

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」 上杉鷹山
何事も強い意志を以って行動を起こせば必ずできる。考えているだけでは何も成果は得られない。できないのは行動しないからである。 出典『上杉家文書』

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)
一七五一〜一八二二年。第九代米沢藩藩主。当時、困窮した藩政の再建のため自ら質素倹約に努め、役人の贅沢、無駄を正した。また農政の改革を行い、その後、養蚕、絹織物へと発展し藩再生に大きく貢献した。

東京都神社本庁「生命の言葉」より

二月の生命の言葉

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」 上杉鷹山
何事も強い意志を以って行動を起こせば必ずできる。考えているだけでは何も成果は得られない。できないのは行動しないからである。 出典『上杉家文書』

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん)
一七五一〜一八二二年。第九代米沢藩藩主。当時、困窮した藩政の再建のため自ら質素倹約に努め、役人の贅沢、無駄を正した。また農政の改革を行い、その後、養蚕、絹織物へと発展し藩再生に大きく貢献した。

東京都神社本庁「生命の言葉」より

一月の生命の言葉

「しきしまの大和心のおおしさはことある時ぞあらわれにける」 明治天皇
明治三十七年、日露戦争の折に詠まれた御製。苦難のときにこそ日本国民の雄々しさはあらわれる。一致団結し凛としてみんなで乗り越えよという励ましの御心が込められている。

明治天皇(明治天皇)
一八五二〜一九一二年。第百二十二代天皇。近代日本の指導者として産業の発展・国民教育の普及・文化の向上につくされ、新しい日本の姿を示された。また、和歌を好まれ、九万三千余首の御製をお詠みになられた。

東京都神社庁「生命の言葉」より

十二月の生命の言葉

「”祈り”は真剣に生きようとするところに初めて生まれる」 岡本健治
 どうでもよい生き方の人や、生きることを放棄した人には無縁である。祈りは限りある人生を精一杯に生き抜こうとする、真剣な生きざまのあかしである。

岡本健治(おかもと けんじ)
一九二四〜一九九九年。京都出身。元熱田神宮宮司。一九九五年〜一九九八年、神社本庁総長を務める。 出典『朝霧 岡本健治遺稿集』熱田神宮宮庁

東京都神社本庁「生命の言葉」より