六月の生命の言葉

「尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏き物を迦微とは云うなり」本居宣長
「普通でない優れたところがあって、恐れ多いものを神という。」
古事記を研究し著した『古事記伝』中で、日本人が古くから持っていた「神」に対する考え方を述べたもの。

本居 宣長(もとおり のりなが)
江戸時代の国学者・文献学者・医師。
伊勢国(三重県)松坂の人。二十二歳で医学の修行のため京都へ遊学し、儒学・古典等を修め国学の道に入ることを志す。
松坂に帰り診療所を開業し、そのかたわら源氏物語、古事記など古典文学の注釈や漢字音、文法などの国語学的研究にすぐれた業績を残した。
また復古思想を説いて儒教を排し、国学の思想的基礎を固めた。
国学四大人の一人。
著書に『源氏物語玉の小櫛』『古事記伝』『玉勝間』『直毘霊』などがある。

五月の生命の言葉

「足ることを 知る心こそ 宝船 世をやすやすと 渡るなりけり」脇坂義堂
満足を知ることは、とても尊いことである。そうすれば世の中も、たやすく渡ることができる。『五用心慎草 下之巻』

脇坂義堂
江戸時代後期の心学者。石田梅岩の弟子である手島堵庵に学び全国を遊説するも、一時は堵庵に破門される。その後、人足寄場などで講義を行うとともに、地方でも積極的に遊説を行ったことから、破門を解かれ、石田梅岩先生門人簿に載せられた。

四月の生命の言葉

「我が庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々」昭和天皇
昭和天皇御製 昭和五十年歌会始お題「祭り」

昭和天皇
第百二十四代天皇。
在位期間 昭和元年十二月二十五日〜昭和六十四年一月七日
誕生 明治三十四年四月二十九日
幼少期の称号は迪宮(みちのみや) 諱は、裕仁(ひろひと) お印は「若竹」
崩御 昭和六十四年 一月七日(宝算八十七歳)
陵所 武蔵野陵(東京都八王子市長房町)

三月の生命の言葉

「神感は清水へ月の宿るが如く 誠ある人の心には 神明感応ましますなり」伴部 安崇
神に祈って何のききめがあるのか、と問う人に対する一つの答え。月の輝きが、美しく澄んだ清水の表面に、又その奥底まで、影をおとすように、人にして誠心(誠心誠意)を以って、神に祈るものに対しては、神は必ず感応ましますものであるとしたものである。『神道野中の清水』

伴部 安崇
江戸の生まれ、八重垣翁と号した。跡部光海の門弟。垂加神道学者で一般の教化にも当たった。『神道野中の清水』は、世間一般の人々にわかりやすく神道を説いたものである。

二月の生命の言葉

「日はのぼる、旗雲の豊の茜に、いざ御船行でませや、うまし美々津を。」北原白秋
「茜色に染まった豊旗雲のたなびく日の出の空の下、東征の船よさあ出立ちませ、この美しい美々津の港を」
皇紀二、六〇〇年奉祝事業のために、日本建国の神話をテーマに、詩人北原白秋が作詞し、信時潔が作曲して出来上がった交声曲「海道東征」の一節。

北原 白秋
明治期〜昭和期の日本の詩人、童謡作家、歌人。生涯数多くの詩歌を残し、「この道」「ゆりかごのうた」等、今なお歌い継がれる童謡を多数発表し、近代日本を代表する詩人。

一月の生命の言葉

「とこしえに 国まもります 天地の 神のまつりを おろそかにすな」明治天皇
明治元年(慶応四年)三月十四日、明治天皇は京都御所紫宸殿に公卿・諸侯以下百官を集め、維新の基本方針を天地の神々にお誓いになりました。(五箇條の御誓文)
この日、天皇みずからが国難の先頭に立って伝統あるこの国を護り、世界各国との親交を深めつつ国を隆昌に導こうとするにあたり、国民への協力を求める告諭(宸翰)が、御誓文とあわせて布告されました。

平成30年お正月 祈願受付・開閉門時間

昇殿祈願受付時間

大晦日:午前9時〜午後2時00分

大晦日〜元旦(深夜):午後11時30分〜午前2時

元旦(月):午前7時30分〜午後5時

2日(火):午前8時30分〜午後4時30分

3日(水):午前8時30分〜午後4時30分

4日(木):午前8時30分〜午後4時※

5日(金):午前9時〜午後4時※

6日(土):午前9時〜午後4時※

7日(日):午前9時〜午後4時※

※但し、4日(木)より予約(会社・団体)の年頭祈願が多数予定されているため、混雑が予想されます。状況によりましては、一時間以上お待ち頂くことがありますのでご了承下さい。(自動車清祓は4日まで不可)

開閉門時間

大晦日〜元旦(深夜)について … 楼門(赤色の門)等は開いておりますが、神門(狛犬近くの門)は大晦日の午後5時に閉門となります。神門の開門時間は午後11時30分です。

元旦:閉門、午後7時

2日:開門、午前6時15分 閉門、午後6時

3日:開門、午前6時15分 閉門、午後6時

4日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

5日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

6日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

7日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

※元日より7日までの間は、混雑を避けるため御朱印帳への書き込みは中止しておりますのでご了承ください。

十二月の生命の言葉

「天地の御恩日夜に忘れぬは 神道のはじめと奉存候」井上正鐡
井上正鐡著「唯一問答書」の一節。私共を生かしてくださっている天地のお働きを忘れず、そのお恵みのお陰で生きていることを感謝することこそ神道のはじめの大切な一歩です。

井上正鐡(いのうえまさかね)
寛政二年(一七九〇)〜嘉永二年(一八四九)。幕末の神道家、禊教教祖。山形藩主の秋元侯家臣、安藤真鐡の次男として生まれ、諸国を遍歴して修行。神祇伯白川家に入門して現在の梅田神明宮の神主に就任。民衆を救済・教化するも、幕府の嫌疑を受けて三宅島に遠島され、現地で逝去。

正月巫女助勤募集終了のお知らせ

本年の正月巫女助勤募集は終了いたしました。

多数のご応募誠に有難う御座いました。

来年も、同期間にて募集の予定です。

                            井草八幡宮 社務所
                            TEL03-3399-8133

十一月の生命の言葉

「命には終りあり 能には果てあるべからず」世阿弥
世阿弥著「花鏡」の一節。死は誰にでもくる避けられない宿命であるが、役者の能芸にはこれで良いという終点があってはならない。

世阿弥(ぜあみ)
貞治二年(一三六三)〜没年不詳。
室町時代の能楽師、能の大成者。足利義満、義持、義教三代の将軍に仕え、父観阿弥の芸を受け継ぎ、能の幽玄化、歌舞劇化を進め、現在にまで残る名作能を多数作り、数々の能楽論を著した。