十月の生命の言葉

「大君と 母宮の愛でし 御園生の 白樺冴ゆる 朝の光に」皇后陛下
 
東宮御所の白樺 上皇上皇后両陛下に捧げる感謝の御歌

 天皇皇后両陛下が平成の時代をお過ごしになられた東宮御所のお庭には、上皇上皇后両陛下が昭和時代をお過ごしになられた際に、慈しまれ大切にお育てになられた、上皇后陛下のお印の白樺の木立があります。
 この御歌はそのような白樺の木々が、朝の光をうけて白く輝いている様子を、この美しいお庭の景色を御覧になりながら二十数年間過ごしてこられたことへの感謝のお気持ちを込めて、お詠みになられたものです。

令和2年 井草八幡宮例大祭日程

九月三十日(水) 宵宮
 
●神事
宵宮祭斎行  午後五時(本殿)
●奉納行事
献華  早朝より午後八時まで(回廊)
●神賑行事
文華殿公開  午後四時より午後七時三十分まで
※参道の出店はありません
[閉門 午後八時]

 

十月一日(木)当日
 
●神事
当日祭斎行  午前十時(本殿)
●奉納行事
献華  早朝より午後六時まで(回廊)
●神賑行事
文華殿公開  午後一時より午後五時三十分まで
※参道の出店はありません
[閉門 午後九時三十分]

 尚、本年は神幸祭を執り行う予定でおりましたが、昨今の状況を鑑み、延期とさせていただきます。

※例大祭期間中の昇殿祈願受付について
 
九月三十日   13:30 〜 15:30
十月一日   14:30 〜 16:00
※但し、九月三十日、十月一日は自動車のお祓いは受付出来ません。

九月の生命の言葉

「失ったものを数えるな 残されたものを最大限に活かせ」 ルートヴィッヒ・グットマン
 

ルートヴィッヒ・グットマン
一八九九年〜一九八〇年。ドイツの神経医学者。
傷痍軍人の身体的・精神的なリハビリテーションにスポーツが最適と考え、入院患者を対象に競技大会を始め、パラリンピックの創始者となった。
言葉は傷痍軍人にかけられた言葉。

八月の生命の言葉

「人みなは 姿ちがへど ひたごころ 戦なき世を こひねがふなり」今上陛下 (平成九年歌会始お題「姿」より)
 
この御歌は、平成九年歌会始(皇太子時代)に詠まれた御歌です。阪神・淡路大震災の復興と平安が強く望まれた時代です。
陛下は昨年五月一日、即位後朝見の儀のお言葉にも、「象徴として国民の幸せと世界の平和を切に希望します」と語られました。
同じく昨年の歌会始では、「雲間より さしたる光に 導かれ われ上りゆく 金峰の峰に」と、上皇陛下の後姿を「さしたる光」と御心を詠まれました。
この上皇陛下の後姿は、「国やすかれ民やすかれ」と祈り、「国の象徴」として被災地に寄り添い悲しみを分け合うお姿、激戦地の英霊に平和を誓う鎮魂の黙祷をするお姿であり、私たち多くの国民に深い感動を与えました。
昨年、践祚後の一般参賀では人々の寿ぎの声が皇居を埋め尽くし、平安絵巻さながらの即位礼では日本の古き伝統を心に残し、五穀豊穣と安寧を祈る大嘗祭は「国やすかれ民やすかれ」の祈りの極致を現わしました。
今上陛下に受け継がれた「国民と共に歩む在り方」は戦後の疲弊と混乱の中で全国行幸を成し遂げられた昭和天皇のお心に繋がるものがあります。
昭和天皇の御製に、「身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて」と詠われた公正無私のお姿が今上陛下にも脈々と息づいています。

七月の生命の言葉

「人に勝つより自分に勝て」嘉納治五郎
 

嘉納治五郎(かのう じごろう)
 
摂津国御影村(神戸市東灘区)生まれ。嘉納治五郎は教育者として、柔術に独自の理論と合理性を組み込み、競技としての講道館柔道を開き、その思想は後の多くの武道家にも影響を与えました。アジア人初のIOC委員となった嘉納は、昭和十五年の「幻の東京五輪」の招致に成功しましたが、その背景には第二代IOC会長クーベルタンとの親交がありました。教育者の二人はスポーツを通じて青少年を教育する意義と重要性を強く共有していました。日本武道協議会によると、武道は武士道の伝統に由来する日本で体系化された武技の修練による心技一如の運動文化と定義されます。「心・技・体」を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する人間形成の道です。嘉納の「精力善用・自他共栄」の考えは柔道で身に付けた力を社会のために使い、対戦相手と共に成長するという基本的な理念で、まさに近代五輪の精神と融合するものでありました。

六月の生命の言葉

水無月の 夏越の祓 する人は 千年のいのち 延ぶといふなり
みなづきの なごしのはらへ するひとは ちとせのいのち のぶといふなり

 
 
半年間を過ごす日々で知らず識らずのうちに内(心)と外(身)に降り積もる罪・穢を祓清め心身を清浄な形に戻すことで、暑い夏も健康に過ごし長命を得られると考えています。

五月の生命の言葉

「今日の暮らしは昨日にあり今日の丹誠は明日の暮らしとなる」二宮尊徳
恵みとは日々の暮らしを大切とすることで与えらえるものである『万物発言集草稿』

二宮尊徳(にのみや そんとく)
相模国柏山村(神奈川県小田原市)生まれ。江戸時代後期の農政家。通称金次郎。
各地で荒廃した農村の復興にあたると共に、「天地人」三才の徳に報いる報徳思想を唱えた。
明治以降は勤倹力行の象徴として、全国の小学校に少年金次郎像が建てられた。

四月の生命の言葉

「一家は習慣の学校なり 父母は習慣の教師なり」福沢諭吉
 人間教育の基礎として家庭内での良き習慣が重要である 『家庭叢談』

福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)
 幕末から明治の啓蒙思想家、慶應義塾の創始者。儒学者の父親と身分にこだわらず人々にやさしい母親の影響を受けた。
 国民の独立自尊にもとづく国家の発展と繁栄を目的として思想活動を展開した。
 「家庭叢談」(明治九)福沢諭吉刊行の家庭の団欒の記事を集めた雑誌の一文。

三月の生命の言葉

「人生に失敗がないと 人生を失敗する」斎藤茂太
 

斎藤茂太(さいとう しげた)
大正五年生まれ。精神科医、随筆家。
歌人で精神科医の斎藤茂吉の長男として東京市(当時)に生まれる。
「心の名医」「モタさん」の愛称で広く親しまれ、多くの悩める人を勇気づけ、人間関係を楽にしてくれる人生術に多くの人が共感した。
日本精神病院協会の名誉会長を務めながら執筆を続けた。

二月の生命の言葉

「和を以て貴しとなし」聖徳太子
【十七条の憲法 第一条】「和を以て貴しと為し 忤ふること無きを宗とせよ」
「やわらぎ」とは穏やかで平和であることを意味します
身分や思想で反発するのではなく
和を重んじ活発な議論を行い調和していくことが最も大事です

聖徳太子(しょうとくたいし)
用明天皇の第二皇子。「聖徳太子」は、後世の諡号。厩戸皇子、厩戸王とも呼ばれる。
推古天皇の摂政として国内緊張のなか大臣蘇我馬子と協調し、遣隋使派遣・冠位十二階の制・十七条の憲法の制定など外交・内政面に尽力し、大王(天皇)を中心とする国家体制を目指した。