本日の神事等について

本日9月30日は台風上陸に伴い、神輿渡御ほか屋外での行事は中止とさせていただきます。
また危険防止のため、閉門時間も予定より大幅に繰り上げ、午後四時に閉門とさせていただきます。
露店に関しましては出店する予定ではございますが、天候に応じて出店中止等が予想されます。
諸々ご了承をお願いいたします。

平成三十年 井草八幡宮例大祭日程

九月二十九日(土)  宵宮
神事    
宵宮祭斎行  午後五時(本殿)
奉納行事    
井草囃子   午後四時より(神楽殿・招神殿)
井草の大太鼓  午後六時より(神門前)
献華  早朝より午後十時まで(回廊)
神賑行事    
文華殿公開  午後四時より午後九時まで
参道の出店  正午頃より午後十時頃まで
[閉門 午後十時]

九月三十日(日)   渡御(雨天のため、神事は中止)

本日台風のため予定を大幅に変更いたします。
神事  
  雨天のため中止  
奉納行事    
献華  早朝より正午ごろまで(回廊)  
空手道  雨天のため中止
井草の大太鼓  雨天のため中止
神賑行事    
文華殿公開  午後一時より午後三時まで(天候に応じて閉館いたします)
参道の出店  正午頃より午後四時まで出店予定
[閉門 午後十時の予定でしたが台風のため午後四時とさせていただきます]

十月一日(月)    当日祭
神事    
当日祭斎行  午前十時(本殿)
奉納行事   
神楽  午前十一時より午後九時まで(神楽殿)
井草囃子  早朝より(招神殿)途中休憩あり
北辰一刀流  午後一時より午後三時まで(神楽殿)
井草の大太鼓  午後六時より(神門前)
献華  早朝より午後九時まで(回廊)
神賑行事   
野点席  午前十一時三十分より午後四時まで(招神殿前)
文華殿公開  午後一時より午後九時まで
参道の出店  正午頃より午後九時三十分頃まで
[閉門 午後九時三十分] 
 

※例大祭期間中の昇殿祈願受付について
九月二十九日  14:00 〜 16:00
九月三十日   9:00 〜 11:30、14:00 〜 15:30
十月一日    14:30 〜 16:00
※但し、九月二十九日、三十日、十月一日は自動車のお祓いは受付出来ません。

九月の生命の言葉

「いかにして まことの道に かなひなむ 千とせのうちの 一日なりとも」良寛
千年のうちでたとい一日でも誠の道に叶うような行ないをしたいものだ。『蓮の露』(貞心尼編)

良寛
江戸後期の禅僧、詩人、歌人、書家。越後国出雲崎の人。大愚良寛と称する。諸国を行脚し、生涯寺を持たず、故郷に隠棲して役二十年を過ごす。その後の十年間は、乙子神社の草庵に移り、後に終息の地となる島崎(現・長岡市)の名家である木村家に移住し、生涯を通じ独自の枯淡な境地を和歌・書・漢詩に表現した。弟子の貞心尼が良寛との贈答歌を編んだ歌集『蓮の露』がある。

八月の生命の言葉

「みがかずば 玉の光は いでざらむ 人のこころも かくこそあるらし」昭憲皇太后
今月の十五日は終戦記念日です。今に生きる私たちは、国や家族を思う一心で尊い命を捧げられた『戦没者(戦地に於いて亡くなられた方々)』への慰霊とともに空襲などで亡くなられた『一般戦災死亡者』の方々への慰霊の心を忘れてはなりません。今日の平和と繁栄は、これらの多くの尊い犠牲の上に築かれているのですから。
東京大空襲殉難者への慰霊
先の大戦で、空襲や艦砲射撃等を受けた街は全国で二百カ所以上。犠牲者は五十万人を超えました。東京では昭和十七年四月十八日に始まった空襲から同二十年八月十五日の戦争終結までに、延べ二百回にわたる空襲を受け、二十万人以上にも及ぶ尊い命が失われております。私たちは、この悲しい事実を風化させる事なく、戦争を知らない世代にも語り継がなくてはなりません。
東京都慰霊堂 都内戦災・震災殉難者慰霊祭の斎行
東京都神道青年会(都下神社の神職の内、四十歳までの青年神職によって組織される団体・東京都神社庁外郭団体)では、毎年の八月十五日、東京都慰霊堂(墨田区横網町公園内)において都内戦災・震災殉難者慰霊祭を慎んで斎行し、御霊に慰霊の誠を捧げ、御霊の平安をお祈り申し上げております。
※この祭事に関するお問い合わせは、東京都神社庁(03-3404-6525)まで

七月の生命の言葉

「渇しても盗泉の水を飲まず 熱しても悪木の陰に息わず」陸機
どんな窮地に陥っても、人道に背くことはできない。『猛虎行』

陸機(りくき)
中国、西晋の文学者。呉の名門貴族の家に生まれたが、呉の滅亡後、洛陽に入る。宰相張華に認められ出世したが、政争に巻き込まれて殺された。張華に、詩才がありすぎると評されるほどの天才的作家であり、その詩は対句を用い修辞に富み、斉梁文学の先駆けとなっている。
特に「文賦」は、中国文学理論の代表的著作として名高い。

六月の生命の言葉

「尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏き物を迦微とは云うなり」本居宣長
「普通でない優れたところがあって、恐れ多いものを神という。」
古事記を研究し著した『古事記伝』中で、日本人が古くから持っていた「神」に対する考え方を述べたもの。

本居 宣長(もとおり のりなが)
江戸時代の国学者・文献学者・医師。
伊勢国(三重県)松坂の人。二十二歳で医学の修行のため京都へ遊学し、儒学・古典等を修め国学の道に入ることを志す。
松坂に帰り診療所を開業し、そのかたわら源氏物語、古事記など古典文学の注釈や漢字音、文法などの国語学的研究にすぐれた業績を残した。
また復古思想を説いて儒教を排し、国学の思想的基礎を固めた。
国学四大人の一人。
著書に『源氏物語玉の小櫛』『古事記伝』『玉勝間』『直毘霊』などがある。

五月の生命の言葉

「足ることを 知る心こそ 宝船 世をやすやすと 渡るなりけり」脇坂義堂
満足を知ることは、とても尊いことである。そうすれば世の中も、たやすく渡ることができる。『五用心慎草 下之巻』

脇坂義堂
江戸時代後期の心学者。石田梅岩の弟子である手島堵庵に学び全国を遊説するも、一時は堵庵に破門される。その後、人足寄場などで講義を行うとともに、地方でも積極的に遊説を行ったことから、破門を解かれ、石田梅岩先生門人簿に載せられた。

四月の生命の言葉

「我が庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々」昭和天皇
昭和天皇御製 昭和五十年歌会始お題「祭り」

昭和天皇
第百二十四代天皇。
在位期間 昭和元年十二月二十五日〜昭和六十四年一月七日
誕生 明治三十四年四月二十九日
幼少期の称号は迪宮(みちのみや) 諱は、裕仁(ひろひと) お印は「若竹」
崩御 昭和六十四年 一月七日(宝算八十七歳)
陵所 武蔵野陵(東京都八王子市長房町)

三月の生命の言葉

「神感は清水へ月の宿るが如く 誠ある人の心には 神明感応ましますなり」伴部 安崇
神に祈って何のききめがあるのか、と問う人に対する一つの答え。月の輝きが、美しく澄んだ清水の表面に、又その奥底まで、影をおとすように、人にして誠心(誠心誠意)を以って、神に祈るものに対しては、神は必ず感応ましますものであるとしたものである。『神道野中の清水』

伴部 安崇
江戸の生まれ、八重垣翁と号した。跡部光海の門弟。垂加神道学者で一般の教化にも当たった。『神道野中の清水』は、世間一般の人々にわかりやすく神道を説いたものである。

二月の生命の言葉

「日はのぼる、旗雲の豊の茜に、いざ御船行でませや、うまし美々津を。」北原白秋
「茜色に染まった豊旗雲のたなびく日の出の空の下、東征の船よさあ出立ちませ、この美しい美々津の港を」
皇紀二、六〇〇年奉祝事業のために、日本建国の神話をテーマに、詩人北原白秋が作詞し、信時潔が作曲して出来上がった交声曲「海道東征」の一節。

北原 白秋
明治期〜昭和期の日本の詩人、童謡作家、歌人。生涯数多くの詩歌を残し、「この道」「ゆりかごのうた」等、今なお歌い継がれる童謡を多数発表し、近代日本を代表する詩人。