七月の生命の言葉

礼儀ほど美しいものはない 渋沢栄一
礼儀とは人の持てる最高の美徳である

渋沢栄一
日本の資本主義の父とされ、新貨条例、国立銀行条例など諸制度改革を行う。日本に株式会社(合本組織)を導入、第一国立銀行(現みずほ銀行)を始め多種多様の会社約五百社の設立や創設に関与し日本資本主義の発達に大いなる貢献をした。令和四年より新一万円札の図柄が渋沢栄一となる。

令和3年度 夏越大祓

今年の夏越大祓式は

神門内にて、午後4時から斎行いたします。

受付は当日、午後3時30分より授与所にて行います。

なお、御参列につきましては、お一人につき、1,000円からお納めください。

六月の生命の言葉

「神は人の敬に依りて威を増し 人は神の徳に依りて運を添ふ」『御成敗式目』
神さまを敬う人の純真な真心にふれ、神さまのご威光はさらに輝きを増し神さまの広き厚きご神徳のご加護で人は導かれ運を開く。神様と人とは一方通行ではなくお互いがお互いを高めあう存在である。

御成敗式目(ごせいばいしきもく)
御成敗式目は、武家政権の最初の武家法で、貞永式目とも呼ばれます。承久の乱後に鎌倉御家人と公家、荘園領主間に問題が多発し、貞永元年(1232年)に執権北条泰時により頼朝以来の先例と武家社会の慣習と道徳を基準に制定されたものです。表面の言葉は、第一条の「神社修理し祭祀専らにすべき事」の条文に標記されています。この敬神の心は室町幕府・戦国の分国法、そして江戸へと受け継がれます。

五月の生命の言葉

「怠らず 行かば千里の末も見ん 牛の歩みのよし遅くとも」坂 静山
牛の歩みのように、たとえゆっくりでも怠らず続けていけば、遠い道のりでもたどり着くことができる。

坂 静山(ばん せいざん)
尾張(愛知県)出身。江戸前期から中期に活躍した歌人。京都公家烏丸光雄に二条流和歌を学び「和歌継塵集」などを著した。なお「坂」は「阪」とも書き、「さか」とも読む。門人には和歌に風刺や皮肉を織り込んだ「狂歌」を流行させた内山賀邸や平秩東作などがいる。

四月の命の言葉

「人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう そしてむくいを求めぬよう」後藤新平
後藤新平がロンドンへ洋行した際に見た
ボーイスカウトの訓練に感銘を受け
帰国後の大正十一年に少年団日本連盟を組織し
この「自治三訣(じちさんけつ)」の訓辞を掲げた

後藤新平 (ごとう しんぺい)
医師として勤務していた医学校でその手腕が認められ二十四歳にして学校長兼病院長に就任する。
のちに南満州鉄道初代総裁、内務大臣、外務大臣などの要職を歴任。二度目の内務大臣就任の際には帝都復興院総裁を兼任し、関東大震災後の復興に尽力し今日の東京の都市計画の基礎を築いた。

三月の命の言葉

「好況よし不況なおよし」松下幸之助
正しい経営が行われている限り、
不況こそ好機なのだ。
そして不況は人がつくったものだから、
人に不況が解決できないはずはない。

『松下幸之助 叱られ問答』

松下幸之助 (まつした こうのすけ)
和歌山県生まれ。パナソニック(旧松下電器産業)グループ創業者。戦後困窮をきわめた世相を目の当たりにし、「人間は限りなき繁栄と平和と幸福を原則として与えられている」との考えからPHP(繁栄によって平和と幸福を)運動を始め昭和二十一年に実現するための研究機関としてPHP研究所を創設。昭和五十五年、二十一世紀を担う指導者の育成を目的に、松下政経塾を開塾。平成元年に九十四歳で逝去。

二月の命の言葉

「雲間より さしたる光に 導かれ われ登りゆく 金峰の峰に」 今上陛下
平成三十一年歌会始お題「光」より

一月の命の言葉

「あらし吹く 世にも動くな人ごころ いはほに根ざす 松のごとくに」明治天皇
明治三十七年歌御会始勅題「巌上松」より