三月の生命の言葉

「うそ云ふな ものほしがるな からだだわるな」橘 曙観
橘曙観が伊勢神宮に詣でた折、五十鈴川の水を汲み帰り、これを墨にすって書き残したという「家訓」の一節。
嘘を言ふな、物を欲しがるな、身体を怠けさせるな。

橘 曙観(たちばな あけみ)
文化九年(一八一二)〜慶応四年(一八六八)。越前国の商家の長男として生まれる。本居宣長の門人・田中大秀に入門し神道・国学を学び歌を詩作した。後に正岡子規は、源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙観ただ一人と絶賛した。

二月の生命の言葉

「道にただ 身をば捨てんと 思ひとれ 必ず天の 助けあるべし」 島津日新齊
正しい事のために命がけでのぞめば、必ず天の助けがある。

島津日新齊(しまづ じっしんさい)
明応元年(一四九二)〜永禄十一年(一五六八)。本名は島津忠良。薩摩国守護島津家の分家伊作島津家の嫡男として生まれる。宗家継承を巡り混乱した薩摩国内を鎮め、戦国大名島津家の基礎を築く。琉球貿易、殖産興業、家臣団の教育に力を尽くし、特にその教育論は薩摩独特の士風として代々受け継がれた。

一月の生命の言葉

「おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも 登ればのぼる 道はありけり」明治天皇
大空に高くそびえ立っているけわしい峯々にも、登っていけば、自然と登り得る道はあるものです。只必要なのは、頂上を究めなければ止まない勇気と努力です。昔は不可能と思われたヒマラヤ、アルプス等の頂上も勇気とたゆまぬ努力によって、見事に登る道ができました。人生の行路も同様です。
「明治天皇御製 教育勅語 謹解」

明治天皇(めいじてんのう)
嘉永五年(一八五二)〜明治四十五年(一九一二)。第百二十二代天皇。近代日本の指導者として、立憲政治の確立、産業の発展、国民教育の普及・文化の向上等に尽くされ、新しい日本の姿を示された。また、和歌を好まれ、九万三千首の御製をお詠みになられた。

平成29年お正月 祈願受付・開閉門時間

昇殿祈願受付時間

大晦日:午前9時〜午後3時50分

大晦日〜元旦(深夜):午後11時30分〜午前2時

元旦(日):午前7時30分〜午後5時

2日(月):午前8時〜午後4時30分

3日(火):午前8時〜午後4時30分

4日(水):午前8時30分〜午後4時※

5日(木):午前8時30分〜午後4時※

6日(金):午前9時〜午後4時※

7日(土):午前9時〜午後4時※

※但し、4日(水)より予約(会社・団体)の年頭祈願が多数予定されているため、混雑が予想されます。状況によりましては、一時間以上お待ち頂くことがありますのでご了承下さい。(自動車清祓は4日まで不可)

開閉門時間

大晦日〜元旦(深夜)について … 楼門(赤色の門)等は開いておりますが、神門(狛犬近くの門)は大晦日の午後5時に閉門となります。神門の開門時間は午後11時30分です。

元旦:閉門、午後7時

2日:開門、午前6時15分 閉門、午後6時

3日:開門、午前6時15分 閉門、午後6時

4日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

5日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

6日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

7日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

※今年より三が日の間は、混雑を避けるため御朱印帳への書き込みは中止しておりますのでご了承ください。

十二月の生命の言葉

「私が断じて滅びない事を願う一つの国民がある それは日本人だ」ポール・クローデル
「あれ程度興味ある太古からの文明は消滅させてはならない。日本は驚くべき発展をしたが、それは当然で、他のいかなる国民にもこれ程の資格は無い。彼らは貧乏だ。然し、高貴だ。」と続く。日仏間が戦争状態であった昭和十八年、元駐日フランス大使であった彼が語った言葉。

ポール・クローデル
一八六八〜一九五五年。フランスの作家、詩人、外交官。大正十年から六年間駐日フランス大使として在日。彫刻家である姉・カミーユのジャポニズムに感化されたこともあり、日本を広く見聞した。日本で関東大震災に遭遇し、その際、被災者が配給の列に整然と並ぶ姿を驚きをもって手記に記したという。

正月巫女助勤募集終了のお知らせ

本年の正月巫女助勤募集は終了いたしました。

多数のご応募誠に有難う御座いました。

来年も、同期間にて募集の予定です。

                             井草八幡宮 社務所
                             TEL03-3399-8133

十一月の生命の言葉

「世の中に親に孝ある人はただ 何につけても頼もしきかな」荒木田守武
両親に孝行をつくせる人は、どんな時でも誠実で頼もしい。

荒木田守武(あらきだもりたけ)
文明五年(一四七三)〜天文十八年(一五四九)。伊勢皇大神宮の神職。神宮在職中は争乱相次ぐ戦国の世で式年遷宮も中絶したが、仮殿遷宮祭を奉仕する等、神宮奉護に力を尽くした。また神明奉仕の傍ら俳諧連歌に取り組み、山崎宗鑑と並ぶ俳諧連歌の祖として文学史上に不動の地位を築いた。『世中百首』は平易な教訓和歌集で伊勢論語と称えられてながく愛唱された。

正月巫女助勤募集のお知らせ

昨年に引き続き本年も正月巫女助勤の募集を行います。

○募集期間…平成28年10月20日〜平成28年11月20日迄

○申込方法…当社指定の申込用紙を授与所にてお渡ししております。指定の用紙に必要事項を記入して、証明写真(6㎝×5㎝)を添えてご来社下さい。尚、面接(5分〜10分程度)が御座いますので、日時は御相談の上、決めさせて頂きます。

※定員になり次第、募集を締め切ります。何卒ご了承ください。

                               井草八幡宮 社務所
                               TEL03-3399-8133

十月の生命の言葉

「至誠神を感ず」吉田松陰
まごころは神さまさえも感動させる

吉田松陰(よしだしょういん)
文政十三年(一八三〇)〜安政六年(一八五九)。幕末の尊皇思想家。長門国(山口県)萩の出身で、明倫館の兵学教授として出仕。二十二歳の時に江戸に出て佐久間象山より蘭学を学ぶ。安政元年(一八五四)伊豆下田に停泊していたペリー艦隊に乗船を図るが失敗し、萩の野山獄に収監。その後叔父が主催していた松下村塾を引き継いで高杉晋作、久坂玄瑞等を育てた。しかし倒幕論を唱えるなどして再び投獄され、安政の大獄によって獄中で刑死となった。