平成25年 例大祭日程

平成二十五年 井草八幡宮例大祭日程

九月三十日(月)   宵   宮
   神  事    宵宮祭斎行  午後五時
   奉納行事    井草囃子  午後四時より
            井草の大太鼓  午後六時より
            各流献華  早朝より午後十時まで(回廊)
   神賑行事   文華殿公開  午後四時より午後九時まで
            参道の出店  正午頃より午後十時まで
                           [閉門 午後十時]

十月一日(火)    当日祭
    神  事    当日祭斎行  午前十時(本殿)
   奉納行事    神   楽  午前十一時より午後九時三十分まで(途中休憩あり)
            井草囃子  午前七時より(途中休憩あり)
            北辰一刀流  午後一時より午後三時まで
            井草の大太鼓  午後六時より
            各流献華  早朝より午後九時まで(回廊)
   神賑行事    野点席  午前十一時三十分より午後四時まで(神楽殿前)
            文華殿公開  午前十一時より午後九時まで
            参道の出店  正午頃より午後十時まで
                           [閉門 午後十時]

十月六日(日)    渡御  (雨天中止)
   神  事    発輿式  午後一時(北駐車場)
            神輿渡御  赤灯籠前(北P)より桃井三丁目緑地公園入口までの間(青梅街道)
            還幸式  午後五時頃(北駐車場)
   奉納行事   狂 言  午後一時より午後五時まで
   
                           [閉門 午後六時]
参道の露店出店: 九月三十日 正午頃より午後十時まで
             十月一日 正午頃より午後十時まで
             十月六日 なし

※例大祭期間中の昇殿祈願受付について
九月三十日   午前九時より午後四時まで
    十月一日  午後二時三十分より午後四時まで
   十月六日  午前九時より午前十一時まで
           午後二時三十分より午後四時まで

※但し、九月三十日、十月一日は自動車のお祓いは受付できません。

九月の生命の言葉

「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」藤原敏行
秋が間違いなくやって来たとは目にはまだはっきりとは見えないけれども、風の音に自然にそれと気付かされて、はっとすることだ。出典『古今和歌集』

藤原敏行(ふじわらとしゆき)
生年不詳〜九〇七年または九〇一年。平安時代初期の歌人、書家。三十六歌仙の一人。詞書に「秋立つ日によめる」とある通り立秋の日に詠まれた歌。季節の移り変わりを敏感に感じ取り、その感動が素直に表現されている。自然とともに生きてきた古代の日本人の姿が思い起こされる。
                     東京都神社庁「生命の言葉」より

八月の生命の言葉

「世に生を得るは事を為すあり」 坂本 龍馬
人がこの世に生まれてくるのは、何かを成し遂げるためである。どんなことでも目標をもって生きることが人生を意義あるものにしてくれる。

坂本 龍馬(さかもと りょうま)
一八三五〜一八六七年。江戸時代末期の志士。土佐藩郷士。薩長連合を仲介し、土佐藩主だった山内容堂を動かして大政奉還を画策、新しい日本を作ろうと奔走した。京都近江屋で志半ばにして暗殺される。

東京都神社庁「生命の言葉」より

七月の生命の言葉

「人の一寸我が一尺」日本のことわざ
「人の一寸は見えるが我が一尺は見えぬ」とも言う。一寸・一尺は欠点の大小について言っている。人の欠点なら、ちょっとしたものでも見えるが、自分の欠点は、大きなものでも自分には見えないものだ、という意。
解説・金子武雄『日本のことわざ』

金子武雄(かねこたけお)
一九〇六〜一九八五年。東京大学文学部国文科卒。上代文学専攻。東京大学教授から同名誉教授。著書に『続日本紀宣命講』『延喜式祝詞講』。ことわざの研究でも知られ、「ことわざは民衆が実生活の体験のなかから人間や人生に対する批評として生み出されたもので、(中略)伝えられたい文化遺産といってよい」と述べている               東京都神社庁「生命の言葉」より

六月の生命の言葉

「誰だって、ほんとうにいいことをしたらいちばん幸せなんだねえ」 宮澤 賢治
人間は人のためになにかよいことをしたと思うとき、とても幸せな気分になれるものである。 出典『銀河鉄道の夜』

宮澤 賢治(みやざわ けんじ)
1869〜1933年。詩人、童話作家。岩手県花巻生まれ。「雨ニモマケズ」で知られるように、故郷花巻で貧しい農民たちのために献身的に活動した。
また、「農民芸術概論綱要」で「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」とも述べるなど思想家でもあった。

                             東京都神社庁『生命の言葉』より

五月の生命の言葉

「われ人に勝つ道を知らず われに勝つ道を知る」柳生宗矩
自分の心の中に巣食う敵、つまり邪念や怠惰心、臆病といった諸々のものを追い払ってこそ、他人に勝つ道も開ける。他人と勝負することを考えるより、まず、自分と闘って勝たなければならない。

柳生宗矩(やぎゅうむねのり)
一五七一〜一六四六年。江戸時代初期の剣豪。徳川将軍家に仕え、将軍・秀忠や家光の剣術の師範となり大名にまで出世した。戦場における単なる武術を「剣禅一致」などの理念をもって精神性のある武道へと高め、後の武士道に影響を与えた。隻眼の剣士・柳生十兵衛は宗矩の長男。
                         東京都神社庁「生命の言葉」より

四月の生命の言葉

「春風を以って人に接し 秋霜を以って自ら粛む」 佐藤一斎
 他人には春風のもつ暖かさで接し、自分には秋の霜のような冷厳さで反省して、自分の至らぬところを知る、という意味。 出典『言志四録』

佐藤 一斎(さとう いっさい)
 一七七二〜一八五九年。江戸時代の儒者。江戸浜町に生まれ、岩村藩に仕えた。昌平坂学問所に入門し、後に儒学の大成者として認められ、朱子学のみならず陽明学にも長けていたことから学問仲間から「陽朱陰王」と呼ばれて崇められた。

                          東京都神社庁 『生命の言葉』より

三月の生命の言葉

「苦境にあっても天を恨まず」
宮城県気仙沼市階上中学校卒業生代表の言葉
東日本大震災の直後の三月二十二日に、宮城県気仙沼市立階上中学校・梶原裕太君が読んだ卒業生代表の言葉の一文。以下、抜粋。
「階上中学校といえば『防災教育』といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。しかし、自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、私達から大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というにはむごすぎるものでした。つらくて、悔しくて、たまりません。…生かされた者として頭を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え助け合って生きていくことが、これからの私達の使命です。…後輩の皆さん、階上中学校で過ごす『あたりまえ』に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごしてください。…最後に、本当に、本当に、ありがとうございました」
                      東京都神社庁「生命の言葉」より

二月の生命の言葉

「知る者は言わず 言うものは知らず」 老子
 道を本当に体得している者は、決して知識をひけらかさない。知識をひけらかす者は、実際に知識を体得していないのである。

老子(ろうし)
 紀元前六世紀の人物とされ、古代中国の哲学者。その著書を『老子』あるいは『老子道徳経』などという。後世、道教の祖として神秘化されたが、事跡はほとんど不明。
                     東京都神社庁「生命の言葉」より

一月の生命の言葉

「ふる雪にこころきよめて安らけき世をこそいのれ神のひろまへ」昭和天皇
降る雪に心を清めて、世の中が安らかであれと心を込めて祈ろう、神様の御前にて。

昭和天皇(しょうわてんのう)
一九〇一〜一九八九年。昭和六年に「社頭雪」と題して歌会始に詠まれた御製。この年の六月には満州事変が勃発。世の中に不穏な空気が立ち込める中で、ご神前にて世の平安を祈られた御製。いつの時代も、新年には心を清めて神さまの前で手を合わせ世界の平和を祈りたいものである。
                           東京都神社庁「生命の言葉」より