八月の生命の言葉

「戦なき 世を歩みきて 思ひ出づ かの難き日を 生きし人々」今上陛下
大東亜戦争終結 七十二年目の夏〜慰霊と感謝〜
今月の十五日は終戦記念日です。今に生きる私たちは、国や家族を思う一心で尊い命を捧げられた『戦没者(戦地に於いて亡くなられた方々)』への慰霊とともに空襲によって亡くなられた『一般戦災死亡者』の方々への慰霊の心を忘れてはなりません。今日の平和と繁栄は、これらの多くの方々の尊い犠牲の上に築かれているのですから。
東京大空襲殉難者への慰霊
先の大戦で、空襲や艦砲射撃等を受けた街は全国で二百カ所以上。犠牲者は五十万人を超えました。東京では昭和十七年八月十八日に始まった空襲から同二十年八月十五日の戦争終結までに、延べ二百回にわたる空襲を受け、二十万人以上にも及ぶ尊い命が失われております。私たちは、この悲しい事実を風化させる事なく、戦争を知らない世代にも語り継がなくてはなりません。
東京都慰霊堂 都内戦災・震災殉難者慰霊祭の斎行
東京都神道青年会(都下神社の神職の内、四十歳までの青年神職によって組織される団体・東京都神社庁外郭団体)では、毎年の八月十五日、東京都慰霊堂(墨田区横網町公園内)において都内戦災・震災殉難者慰霊祭を慎んで斎行し、御霊に慰霊の誠を捧げ、御霊の平安をお祈り申し上げております。
※この祭事に関するお問い合わせは、東京都神社庁(03-3404-6525)まで

七月の生命の言葉

「ごくありふれた日常のなかに、さりげなく、ひっそりと、幸福はかくれています。」 やなせ たかし
「健康でスタスタ歩いているときには気がつかないのに、病気になってみると、当たり前に歩けることが、どんなに幸福だったのかと気づく。幸福は本当はすぐそばにあって、気づいてくれるのを待っているものなのだ。」
『やなせたかし 明日をひらく言葉』PHP文庫

やなせ たかし
大正八年(一九一九)〜平成二十五年(二〇一三)。
日本の漫画家、絵本作家、詩人。高知県生まれ、本名は柳瀬崇。主な作品に絵本『やさしいライオン』『チリンのすず』(フレーベル館)、作詞に『手のひらを太陽に』『それいけ!アンパンマン』など。九〇年、勲四等瑞宝章受章。九五年、日本漫画家協会文部大臣賞受賞。晩年には日本漫画家協会理事長を務めた。

六月の生命の言葉

「神道は日用の間にあり」 度会延佳
神道は特殊な道ではなく、毎日の行為が神のみ心にかなっているかどうかを反省し、精進する以外にない。
慶安三年(一六五〇)著『陽復記』の一節。また、同人著『太神宮神道或間』(寛文六年著一六六六年)には、「日本国に生まれたる人は、心に得て、身に行はでは叶はざる道……日用の間、神道ならざという事なし」とあるのも同義である。
『神道百言』より

度会 延佳(わたらい のぶよし)
元和元年(一六一五)〜元禄三年(一六九〇)。
江戸中期の伊勢神宮の神道学者。初め延良、後に延佳と改めた。号は愚太夫・直庵と号した。この二つの号をまとめると「愚直」で、延佳は人から「馬鹿正直」といわれても、まことしやかな人間になるよりはましとして一生正直の二字を守り通したという。豊受大神宮の権禰宜に補し、元禄三年に歿した。享年は七十六。

五月の生命の言葉

「進んで名を求めず 退いて罪を避けず」孫子
成功しても名誉を求めることはなく、失敗しても責任回避をしない。

孫子(そんし)
書名『孫子』。中国最古の兵法の書。筆者の孫武は春秋時代の斉の人で、呉王闔盧に仕え、諸国を攻略して大功を立てた。尊称をもって孫子といわれる。また、孫武の子孫である兵法家孫臏の作ともいわれている。

四月の生命の言葉

「慎みてな怠りそ」倭姫命
「気持ちを引き締めて、油断しないで下さい。」
東夷の討伐に向かう日本武尊(尊は倭姫命の甥王にあたる)に草薙剣を与える際に添えられたお言葉。
『古語拾遺』

倭姫命(やまとひめのみこと)
生薨年不明。第十一代垂仁天皇の第四皇女。第十代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継ぎ、天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされ、神宮の別宮である倭姫宮に祀られている。

三月の生命の言葉

「うそ云ふな ものほしがるな からだだわるな」橘 曙観
橘曙観が伊勢神宮に詣でた折、五十鈴川の水を汲み帰り、これを墨にすって書き残したという「家訓」の一節。
嘘を言ふな、物を欲しがるな、身体を怠けさせるな。

橘 曙観(たちばな あけみ)
文化九年(一八一二)〜慶応四年(一八六八)。越前国の商家の長男として生まれる。本居宣長の門人・田中大秀に入門し神道・国学を学び歌を詩作した。後に正岡子規は、源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙観ただ一人と絶賛した。

二月の生命の言葉

「道にただ 身をば捨てんと 思ひとれ 必ず天の 助けあるべし」 島津日新齊
正しい事のために命がけでのぞめば、必ず天の助けがある。

島津日新齊(しまづ じっしんさい)
明応元年(一四九二)〜永禄十一年(一五六八)。本名は島津忠良。薩摩国守護島津家の分家伊作島津家の嫡男として生まれる。宗家継承を巡り混乱した薩摩国内を鎮め、戦国大名島津家の基礎を築く。琉球貿易、殖産興業、家臣団の教育に力を尽くし、特にその教育論は薩摩独特の士風として代々受け継がれた。

一月の生命の言葉

「おほぞらに そびえて見ゆる たかねにも 登ればのぼる 道はありけり」明治天皇
大空に高くそびえ立っているけわしい峯々にも、登っていけば、自然と登り得る道はあるものです。只必要なのは、頂上を究めなければ止まない勇気と努力です。昔は不可能と思われたヒマラヤ、アルプス等の頂上も勇気とたゆまぬ努力によって、見事に登る道ができました。人生の行路も同様です。
「明治天皇御製 教育勅語 謹解」

明治天皇(めいじてんのう)
嘉永五年(一八五二)〜明治四十五年(一九一二)。第百二十二代天皇。近代日本の指導者として、立憲政治の確立、産業の発展、国民教育の普及・文化の向上等に尽くされ、新しい日本の姿を示された。また、和歌を好まれ、九万三千首の御製をお詠みになられた。

平成29年お正月 祈願受付・開閉門時間

昇殿祈願受付時間

大晦日:午前9時〜午後3時50分

大晦日〜元旦(深夜):午後11時30分〜午前2時

元旦(日):午前7時30分〜午後5時

2日(月):午前8時〜午後4時30分

3日(火):午前8時〜午後4時30分

4日(水):午前8時30分〜午後4時※

5日(木):午前8時30分〜午後4時※

6日(金):午前9時〜午後4時※

7日(土):午前9時〜午後4時※

※但し、4日(水)より予約(会社・団体)の年頭祈願が多数予定されているため、混雑が予想されます。状況によりましては、一時間以上お待ち頂くことがありますのでご了承下さい。(自動車清祓は4日まで不可)

開閉門時間

大晦日〜元旦(深夜)について … 楼門(赤色の門)等は開いておりますが、神門(狛犬近くの門)は大晦日の午後5時に閉門となります。神門の開門時間は午後11時30分です。

元旦:閉門、午後7時

2日:開門、午前6時15分 閉門、午後6時

3日:開門、午前6時15分 閉門、午後6時

4日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

5日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

6日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

7日:開門、午前6時15分 閉門、午後5時

※今年より三が日の間は、混雑を避けるため御朱印帳への書き込みは中止しておりますのでご了承ください。

十二月の生命の言葉

「私が断じて滅びない事を願う一つの国民がある それは日本人だ」ポール・クローデル
「あれ程度興味ある太古からの文明は消滅させてはならない。日本は驚くべき発展をしたが、それは当然で、他のいかなる国民にもこれ程の資格は無い。彼らは貧乏だ。然し、高貴だ。」と続く。日仏間が戦争状態であった昭和十八年、元駐日フランス大使であった彼が語った言葉。

ポール・クローデル
一八六八〜一九五五年。フランスの作家、詩人、外交官。大正十年から六年間駐日フランス大使として在日。彫刻家である姉・カミーユのジャポニズムに感化されたこともあり、日本を広く見聞した。日本で関東大震災に遭遇し、その際、被災者が配給の列に整然と並ぶ姿を驚きをもって手記に記したという。