例大祭日程

九月三十日(火) 宵宮
  神事   宵宮祭斎行 午後五時
  奉納行事 井草囃子 午後四時より
       井草の大太鼓 午後六時より
       献華 早朝より午後十時まで(回廊)
  神賑行事 文華殿公開 午後四時より午後九時まで
       参道の出店 正午頃より午後十時まで
                        「閉門 午後十時」

十月一日(水) 当日
  神事   当日祭斎行  午前十時
  奉納行事 神楽 午前十一時より午後九時三十分まで(途中休憩あり)
       井草囃子 早朝より(途中休憩あり)
       北辰一刀流 午後一時より三時まで
       井草の大太鼓 午後六時より
       献華 早朝より午後十時まで(回廊)
  神賑行事 野点席 午前十一時三十分より午後四時まで(神楽殿前)
       文華殿公開 午前十一時より午後九時まで
       参道の出店 正午頃より午後十時まで
                        「閉門 午後十時」

十月二日(木) 神幸祭(雨天の場合、神事は中止)
  神事   発輿祭 正午(北祭場)
       御神祭 神霊を神輿に奉安し、行列を以って氏子内を渡御します。
       還幸祭 午後四時(北祭場)
  奉納行事 献華 早朝より午後八時まで(回廊)
  神賑行事 文華殿公開 午後十一時より午後八時まで
       出店の出店 正午頃より午後九時頃まで
                         「閉門 午後九時頃」

十月五日(日) 後納行事
       狂言 午後一時より午後五時まで(神楽殿)
       拳成塾空手 午後(神門前)
                         「閉門 午後五時四十分」
                  
※例大祭期間中の昇殿祈願受付について
九月三十日   午前九時より午前十二時まで
          午後一時三十分より午後四時まで
    十月一日  午後二時三十分より午後四時まで
   十月二日  午前十時より午前十二時まで
           午後一時三十分より午後三時まで

※但し、例大祭期間中の自動車のお祓いは受付できません。

九月の生命の言葉

「父母はわが家の神 わが神と心つくしていつけ人の子」本居 宣長
生命を与えて下さった父母に感謝し、神様のように心を尽くして大切にしなければならない。

本居 宣長(もとおり のりなが)
 一七三〇〜一八〇一年。江戸時代後期の国学者。伊勢松阪出身。医術を業とするかたわら、古典の研究に力を尽くし、『古事記』の注釈書である『古事記伝』を完成させて古典研究の水準を飛躍的に高めた。また儒教や仏教などの外来思想を排して日本古来の心を提唱し、古典の研究を通じて日本の古道について思索を深めた。

                           東京都神社庁『生命の言葉』より

八月の生命の言葉

「人生の最大の幸福は一家の和楽である」
人生で最も大きな幸福は、家族が和やかに楽しく暮らすことである。

野口英世(のぐち ひでよ)
一八七六〜一九二八年。明治期の細菌学者。福島県出身。医学の道を志し、済生学舎(現日本医科大学)修了後、ペンシルバニア大学医学部を経てロックフェラー医学研究所に勤務。特に黄熱病の解明に力を注ぐが、自らも感染してしまいアフリカのガーナにて五十一歳で逝去。現在では千円札の肖像としても親しまれる。

七月の生命の言葉

「世の中に人をそだつる心こそ 我をそだつる心なりけれ」
 人を育てる心は、すなわち自らを育てる心につながる。人を育てることは、自らの成長でもある。 出典『世中百首』

荒木田守武(あらきだ もりたけ)
一四七三〜一五四九年。伊勢皇大神宮の神官。神宮在職中は争乱相次ぐ戦国の世で式年遷宮も中断したが、仮殿遷宮祭を奉仕する等、神宮奉護に力を尽くした。また神明奉仕の傍ら俳諧連歌に取り組み、山崎宗鑑と並ぶ俳諧連歌の祖として仰がれた。

東京都神社庁「生命の言葉」より

七月の生命の言葉

「世の中に人をそだつる心こそ 我をそだつる心なりけれ」
 人を育てる心は、すなわち自らを育てる心につながる。人を育てることは、自らの成長でもある。 出典『世中百首』

荒木田守武(あらきだ もりたけ)
一四七三〜一五四九年。伊勢皇大神宮の神官。神宮在職中は騒乱相次ぐ戦国の世で式年遷宮も中断したが、仮殿遷宮祭を奉仕する等、神宮奉護に力を尽くした。また神明奉仕の傍ら俳諧連歌に取り組み、山崎宗鑑と並ぶ俳諧連歌の祖として仰がれた。

東京都神社庁「生命の言葉」より

六月の生命の言葉

「おもしろき こともなき世を おもしろく」高杉晋作
 この句に、福岡の野村望東尼が続けて「すみなすものは 心なりけり」と加えたとされる。この世をおもしろいと感じるか、おもしろくないと感じるかは、心の持ち方次第であるという意味。

高杉晋作(たかすぎしんさく)
 一八三九〜一八六七年。江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に傾けた。
 東京都神社庁「生命の言葉」より

五月の生命の言葉

「やって見せ 説いて聞かせて やらせてみ 讃めてやらねば 人は動かぬ」山本五十六
 上杉鷹山の「してみせて 言って聞かせて させてみよ」を基にしたと言われる。“ほめる”とはおだてるということではなく、共に喜ぶということ。仕事を教えるのには、ほめてあげることが秘訣だと説いた。 出典『山本五十六のことば』

山本五十六
一八八四〜一九四三年。新潟県長岡市出身。元帥海軍大将。日米開戦に海軍大将として反対するも開戦となり、連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を指揮した。五十九歳で戦死し、元帥を追贈される。この言葉を直接言ったという資料は残されていないが、長岡市堅正寺の住職、橋本禅厳氏が、講和の中で山本元帥の言葉として紹介したものが現在に伝わっている。

 東京都神社庁「生命の言葉」より

 ※掲載が遅れまして申し訳ございませんでした。

四月の生命の言葉

「最もよく人を幸福にする人が最もよく幸福になる」立石一真
“幸”というものは直接つかめるものではない。人を幸せにすることの反応として、自分が幸せを感じる。周囲が全て幸せになっていれば当然、自分もいつのまにか幸せになっていく。 出典『ひとすじの道』オムロン株式会社

立石一真(たていしかずま)
 一九〇〇〜一九九一年。熊本県熊本市出身。オムロンの前身である立石電気製作所を設立。常に消費者を優先することによってのみ企業の繁栄があるとした立石氏の人生訓。著作に『人を幸せにする人が幸せになる。』(PHP研究所)
東京都神社庁「生命の言葉」より

 ※掲載が遅れまして申し訳ございませんでした。

三月の生命の言葉

「国民一人びとりが被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」 今上陛下

東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば
 この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。
 現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。
 自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。
 今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。
 海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。
 被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。(平成二十三年 三月 十六日)    東京都神社庁「生命の言葉」より

二月の生命の言葉

「無理をするな素直であれ」種田山頭火
すべてがこの語句に尽きる、この心構えさえ失わなければ、人は人として十分に生きてゆける、と続く。  出典『道中記』

種田山頭火(たねだ さんとうか)
一八八二〜一九四〇年。明治〜昭和初期の俳人で、自由律俳句の著名な一人。本名、種田正一。後に出家して耕畝と改名する。俳句誌『層雲』で頭角を現し、俳句の投稿を続ける一方で私生活は破産・離婚など波乱に満ちていた。また托鉢僧として度々拠点を移動する流浪の生活を送った。                                          東京都神社庁「生命の言葉」より