十二月の生命の言葉

「一日に生きることは、一歩進むことでありたい」湯川 英樹
 一日をただ漫然と過ごすのではなく、日々、前進することをこころがけたいものである。『最高の報酬 — お金より大切なもの 働く人の名言集』

湯川 英樹( ゆかわ ひでき )
 1907〜1981年。日本の理論物理学者。中間子理論などで原子核・素粒子物理学の発展に大きな功績をあげ、昭和24年、日本人として初めてノーベル賞を受賞した。京都大学・大阪大学名誉教授。理学博士。この言葉を湯川博士は必ず日記帳の最初の頁に書いていたという。

                             東京都神社庁「生命の言葉」より

十一月の生命の言葉

「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」若山 牧水
秋の夜長、ひとり静かに酒を飲み、来し方行く末を思い人生を考える。みんなで楽しく飲む酒もよいが、心を清ましてひとり飲む酒はまた格別の味わいである。『路上』

若山牧水(わかやまぼくすい)
一八八五〜一九二八年。歌人。本名「繁」。宮崎県出身。歌誌「創作」を創刊主宰し、浪漫的で清新な歌を数多く残した。日本の美しい自然と季節の移ろいを詠み、旅と酒をこよなく愛したことで知られる。
                        東京都神社庁「生命の言葉より」

正月巫女助勤募集のお知らせ

○募集期間…平成24年10月20日〜平成24年11月20日迄
○申込方法…当社指定の申込用紙を授与所にてお渡ししております。
          指定の用紙に必要事項を記入して、証明写真(6㎝×5㎝)を
          添えてご来社下さい。
          尚、面接(5分〜10分程度)があります。日時はご相談の上で
          決めさせていただきます。
                                 井草八幡宮 社務所
                                  TEL03-3399-8133

十月の生命の言葉

天も誠にて天たり 地も誠にて地なり」真木和泉
天も天として、地も地としてきちんとある。同じように世の中にも人間にもあるべき姿があるという意。『何傷録』

真木和泉(まきいずみ)
一八一三〜一八六四年。名は保臣(やすおみ)福岡県久留米水天宮の神官の家に生まれる。自らも神官となり国学、和歌を学ぶ。楠木正成を敬慕し、天皇を中心とした時代を理想とした。幕末の尊王攘夷を訴え活動するが、禁門の変で破れ自害する。
                    東京都神社庁「生命の言葉」より

九月の生命の言葉

「敬天愛人」 西郷 隆盛
天を敬い、天が人々を愛するように人を愛する。『南洲翁遺訓』

西郷 隆盛(さいごう たかもり)
一八二七〜一八七七年。幕末維新期、薩摩出身の武士、政治家。戊辰戦争では薩摩藩の軍事を指揮し、江戸城無血開城を実現させた。明治四年、参議に就任するが政府首脳と衝突して下野。明治十年、政府に不満を持つ士族らと西南戦争を起こし、敗れて自害した。いかなる艱難にも耐え、激動の世を生き抜いた西郷の信念ともいうべき言葉。
                            東京都神社庁 「生命の言葉」より

八月の生命の言葉

「とこしへに 民やすかれと いのるなる わが世をまもれ 伊勢のおほかみ」明治天皇
永遠に人々が安らかに暮らせるようにと祈りを捧げよう。伊勢の大神よ、どうか世の中を守ってください。『明治天皇御集』

明治天皇(めいじてんのう)
一八五二〜一九一二年。明治二十四年、「社頭祈世」と題して歌われたもの。平成二十五年、伊勢神宮では第六十二回式年遷宮の最も重要な祭典、遷御の儀が行われる。二十年に一度、御社殿、御神宝、御装束などが全て一新される式年遷宮は、千三百年続けられてきた日本の祈りに他ならない。
                      東京都神社庁「生命」の言葉より

七月の生命の言葉

「自分のしている事が、自分の目的(エンド)になっていない程苦しい事はない」夏目漱石
目的と手段が直結しづらい世の中。目的や生きがいを持てずに仕事を続けるのは大変な苦痛である。『行人』

夏目漱石(なつめそうせき)
一八六七〜一九一六年。小説家。名は金之助。東京出身。東大英文科を卒業後、英語教師を経てイギリスに留学。『我輩は猫である』などで知られる。『行人』では自我を鋭く分析し知識人の心に潜む利己主義を描いた。この言葉には、しかし、不本意さに甘んじず、目的にストレートに向かう熱意と努力が必要だという思いが込められている。        東京都神社庁「生命」の言葉より

六月の生命の言葉

「人の親の心は闇にあらねども 子を思う道にまどひぬるかな」藤原兼輔
親の心は夜の闇ではない。しかし、子どものことを思うと、まっくらな闇を進むようで、迷い、途方に暮れるばかりである。『後撰集』

藤原兼輔(ふじわらかねすけ)
八七七〜九三三年。平安時代の歌人。三十六歌仙の一人。紫式部の曽祖父。賀茂川堤の近くに住んでいたことから堤中納言と呼ばれた。この歌は娘・桑子が醍醐天皇に嫁いだ後の心配でならない心を詠んだもの。いつの時代も子を思い、悩む親の心は変わらないものである。
                        東京都神社庁「生命の言葉」より

五月の生命の言葉

「和魂漢才」菅原道真
日本人としての魂を忘れずに、祖国を愛する心を持ったうえで、世界人として国外に広い知識を求めて勉強せよという教え。『菅家遺誡』

菅原道真(すがわらのみちざね)
八四五年〜九〇三年。平安時代の官吏。詩歌文章に優れ右大臣にまで昇進したが、左大臣・藤原時平の讒言にあって太宰権師に左遷され、延喜三年(九〇三)、大宰府にて崩じた。没後、京の都ではさまざまな天変地異が起き、これらは道真の祟りと信じられ恐れられた。大宰府天満宮、北野天満宮などに祀られ、現在では学問の神として知られる。
                       東京都神社庁「生命の言葉」より。

四月の生命の言葉

「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」吉田松陰
誠意を尽くして事にあたれば、どのようなものでも必ず動かすことができる。物事や人を突き動かす上で「誠」の心がいかに大切かを説いた言葉。『吉田松陰名語録』

吉田松陰(よしだしょういん)
一八三〇〜一八五九年。萩(長州)藩士杉百合之助の二男として萩市に生まれ、山鹿流兵学師範吉田大助の養子となる。松下村塾を主宰し、生徒の自由と個性を重んじながら実践的な学問を教授し、高杉晋作、久坂玄瑞など多くの人材を輩出した。            東京都神社庁「生命の言葉」より