三月の生命の言葉

「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」相田みつを
人間は失敗する。その能力に限りがあるからである。また、人間は挫折する。夢やあこがれを抱く存在だからである。失敗も挫折も、それが人間である証と思い、乗り越えていかなくてはいけない。『にんげんだもの』

相田みつを(あいだみつを)
一九二四〜一九九一年。書家・詩人。栃木県足利市出身。十代の頃から歌と書を学び、在家のまま仏法を修めながら自分だけの詩と書を追及し独自の境地を切り開いた。人間の弱さや過ちを包み込んで元気づけるような心温まる作品を数多く残している。
                       東京都神社庁「生命の言葉」より

二月の生命の言葉

「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」高村光太郎
自ら進む道は自分の力で切り開いていかなくてはいけない。その歩みを続けていった結果が「人生」という一本の道となる。『道程』

高村光太郎(たかむらこうたろう)
一八八三〜一九五六年。詩人・彫刻家。美術学校卒業後、欧米に遊学。ロダンに傾倒、帰国後日本の近代彫刻を開拓し、欧米の芸術思潮の紹介や美術批評にも力を注いだ。詩集に『智恵子抄』                                                東京都神社庁「生命の言葉」より

一月の生命の言葉

年頭 まず自ら意気を新たにすべし  安岡正篤
以下、「年頭古き悔恨を棄つべし 年頭決然滞事(とどこおっていること)を一掃すべし 年頭新たに一善事を発願すべし 年頭新たに一佳書(良い書物)を読み始むべし」と続く。 『安岡正篤一日一言』致知出版社

安岡正篤(やすおかまさひろ)
1898年〜1983年。陽明学者、思想家。大阪出身。東洋思想を研究、日本主義による国政改革を唱えた。有力な政治家や財界人の師として仰がれた。平成の元号の考案者と言われる。この言葉は「年頭自警」と題して書かれたもの。一年の計は元旦にあり。年末の大祓いにくよくよした悩みごとをきっぱりと洗い流し、心機一転、広々とした心で行きたいものである。
                         東京都神社庁「生命の言葉」より

正月三が日の開門閉門時間について

正月三が日の開門閉門時間をお知らせいたします。
元日(日) 大晦日の23時30分より開門して、19時に閉まります。
2日(月) 6時15分より開門して、18時に閉まります。
3日(火) 6時15分より開門して、18時に閉まります。

以上宜しくお願いいたします。

十二月の生命の言葉

「世のなかの よきもあしきも ことごとに 神のこころの しわざにぞある」本居宣長
世の中の良いことも、悪いことも、全て神さまの心がなさることなのである。『玉鉾百首』

本居宣長(もとおりのりなが)
一七三〇〜一八〇一年。江戸時代の国学者・歌人。三重県松阪市の人。医業のかたわら『古事記』『源氏物語』『万葉集』など日本の古典を研究した。神さまは大いなる恵みも授ける一方で、時に荒ぶり天変地異なども引き起こす。人生に起きる良いこと悪いこと、それらも全て神から与えられたものだと受け入れてこそ、前向きに生きていくことができる。
                        東京都神社庁「生命の言葉」より

十一月の生命の言葉

「わが行く道に茨多し されど生命の道は一つ この外に道なし この道を行く」武者小路実篤
たとえ困難が多くても横道や裏道にそれることなく、自分の選んだ道をただ一筋に貫き進んでいくことこそがすばらしいのである。『人生の言葉』

武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)
一八八五〜一九七六年。小説家。明治四十三年に友人・志賀直哉らと雑誌『白樺』を創刊し、以後六十四年にわたって文学活動を続けた。人間愛を追求し、多くの人生論を著したことでも知られる。
                          東京都神社庁「生命の言葉」より

十月の生命の言葉

「末の世と いつより人の いひ初めて 猶世の末に ならぬなるらむ」大隈言道
人はいつの時代から「世も末だ」と言い始めたのだろうか。随分、昔から言い続けながらも、いまだに世の末にはならないようだ。『草径集』

大隈 言道(おおくま ことみち)
一七九八〜一八六八年。江戸時代後期の歌人。福岡の商家の生まれ。三十九歳で家業を譲り隠棲、実情実景を率直な言葉で詠むことを重んじ独自の歌風を築いた。幕末といういわば日本の世紀末の時代にあって、それに浮き足立つ世相への憤りを歌ったもの。自分の今、生きている時代を自覚し、質朴に懸命に生きることこそが大切だという思いが込められている。
                           東京都神社庁「生命の言葉」より

九月の生命の言葉及び井草民俗資料館公開日について

「未だかつて邪は正に勝たず」菅原道真
邪まなことはどんなことがあっても、結局正義には勝てない。正義の上に道理と勝利のあることを信じて生き抜くべきである。『菅原後草』

菅原道真(すがわらみちざね)
八四五〜九〇三年。平安時代の官吏。詩歌文章に優れ右大臣にまで昇進したが、左大臣・藤原時平のざん言にあって太宰権師に左遷され、延喜三年(九〇三)、太宰府にて甍じた。没後、都ではさまざまな天変地異が起き、これらは道真の崇りと信じられ恐れられた。太宰府天満宮、北野天満宮などに祀られ、現在では学問の神として知られる。                         東京都神社庁「生命の言葉」より

井草民俗資料館公開日について
豊明殿工事の関係で、次回の井草民俗資料館公開日は、平成23年11月6日となります。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします

八月の生命の言葉及び井草民俗資料館公開について

「知って行わざれば 知らずに同じ」貝原益軒
いくら頭で知っていても、実際に行わなければ、知らないことと同じである『慎思録』

貝原益軒(かいばらえきけん)
一六三〇〜一七一四年。江戸前期の儒学者、本草家、教育思想家。「人は生まれて学ばざれば生まれざるに同じ、学んで道を知らざれば学ばざるに同じ」に続く言葉。人は生きていくには勉強しなければならない、そして、正しい道理を知りそれを役立たせなくてはならない、そして、それを実際に行動に移さなければ何の意味もないのである。教育とは何かを説いた言葉でもある。
                        東京都神社庁「生命の言葉」より

井草民族資料館公開日について
豊明殿工事の関係で、次回の井草民俗資料館公開日は、平成23年11月6日となります。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。なお、工事が早く終了した場合には、平成23年9月4日に公開いたします。

七月の生命の言葉及び、井草民俗資料館公開日について

「習ひつつ 見てこそ習へ 習わずに 善悪いうは 愚かなりけれ」千 利休
すべての勉強は人から教えられたことをまず習い、人の振りを見て確かめ、さらに自分でやってみて身につけていく。それを人から教えられることなく善悪を言うのは馬鹿なことだ。

千 利休(せんのりきゅう)
一五二二〜一五九一年。堺の茶人。十七歳で茶道に志し、長じて信長、秀吉と親交したが、最期は秀吉の怒りに触れ切腹を命じられた。この言葉は茶道の精神を説いたものであるが、世の中の全般の道についても同じ道理が含まれている。何も習いもせずに良いやら悪いやら批評をすることは無駄なことでしかない。とやかく口で言うよりも、自らの学習と実践がなにより大切なのである。               東京都神社庁「生命の言葉」より

井草民俗資料館公開について
豊明殿工事の関係で、次回の井草民俗資料館公開日は、平成23年11月6日となります。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。なお、工事が早く終了した場合には、平成23年9月4日に公開いたします。