十一月の生命の言葉

「親を思う心にまさる親心今日の音ずれなんと聞くらむ」吉田松陰
親はどのような気持ちで子どものことを思っているのか。親というものは子どもが親を思う以上に、子どものことが気にかかるものである。

吉田松陰(よしだしょういん)
天保元年〜安政六年(一八三〇〜一八五九)。江戸時代末期の勤王の志士、思想家、教育家。長門国(山口県)萩で長州藩下士の杉田百合之助の次男として生まれた。天保五年(一八三四)、五歳のときに山鹿流兵学師範で叔父の吉田大助の養子となる。安政四年(一八五七)松下村塾を開塾し久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文などを教育した。安政の大獄により江戸の伝馬町牢屋敷に送られ安政六年(一八五九)、刑死。明治十五年(一八八二)東京都世田谷区に松陰神社が創建された。
                        東京都神社庁「生命の言葉」より

十月の生命の言葉

「一日延ばしは時の盗人」上田敏
この語は唯一の創作小説『うずまき』の中の会話の一説。「時は金なり」「一寸の光陰軽んずべからず」などというべきところを「時の盗人」であると強く言ったところが名言としての価値がある。我も人も、時の盗人にならないよう注意しなければならない。

上田敏(うえだびん)明治七年〜大正五年(一八七四〜一九一六)。明治時代の詩人、文学者、評論家、翻訳家。幕臣上田絅二の長男として東京築地に生まれた。東京帝国大学英文科卒業。青年期より西欧文学の翻訳紹介に務め、明治二十八年『帝国文学』の創刊を参画する。「山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う」カール・ブッセなどの名訳詞は、今なお広く知られている。                 東京都神社庁「生命の言葉」より

八月の生命の言葉

「寝ていて人を起こすことなかれ」石川理紀之助
自分は懐手でぬくぬくとしながら、他の者を追い立てて働け働けとこき使う者がいるが、それでは人は動かない。自分は仕事はしないで、人にだけそれを求めてはいけない。

石川理紀之助(いしかわりきのすけ)
弘化二年〜大正四年(一八四五〜一九一五)明治期の農業指導者。出羽秋田郡小泉村に生まれた。明治五年(一八七ニ)秋田県勧業課に任用され県庁に出仕。明治十五年(一八八ニ)県庁を辞し、秋田県農会を設立し会長となる。東北各地での農村復興、鹿児島・宮崎両県での開墾などを指導する。著に『稲種得失弁』(明治四年)など。
                       東京都神社庁「生命の言葉」より

七月の生命の言葉

「朝のこない夜はない」吉川英治
どんないやなことが続いても、やがては良い方に変化する。闇夜は永遠なものではなく、明るい朝が必ず来るものだ。だから諦めずに努力を続けようという教え。

吉川英治(よしかわえいじ)
明治二十五年〜昭和三十七年(一八九二〜一九六二)小説家、横浜生まれ。本名は英次。『鳴門秘帖』『宮本武蔵』により大衆文学の第一人者となり、以後、国民作家と呼ぶにふさわしい作品を数多く生んだ。代表作『新書太閤記』『新平家物語』『私本太平記』など。
                           東京都神社庁「生命の言葉」より

六月の生命の言葉

「大事をなさんと欲せば小事をおこたらず勤むべし」二宮尊徳
大事をなそうとする者は、目前の小さなことをおろそかにせずに、処理して行かねばならないということ。十九世紀前半の農政家二宮尊徳の言葉。手堅い生き方の勧め。

二宮尊徳(にのみやそんとく)
天明七〜安政三(一七八七〜一八五六)。江戸時代後期の農政家。相模国足柄上郡柏山村の農民利右衛門の長男。小田原藩家老服部家に請われて家政の建て直しに従事し成功した。この間、五常講を考案。この成功により、藩主大久保忠真から分家宇津家の下野桜町領の荒村復興を依頼され、「分度」と「推穣」を根本とする仕法を開始。この成功で世に知られ、老中水野忠邦に抜擢されて士分となった。
                          東京都神社庁「生命の言葉」より

五月の生命の言葉

「遊びも度重なれば楽しからず珍膳も毎日食えばうまからず」楠木正成
正成の座右の銘の一条である。歓楽というものはその度合いが過ぎると、もう楽しみではなくなる。人は歓楽を目的とし生きるものではなく、人の勤めは人としての仕事に精を出すということである。

楠木正成(くすのきまさしげ)
生年不詳〜建武三(生年不詳〜一三三六)南北朝時代の武将。河内の土豪。楠木正遠の子という。畿内西部で商業などを営み、この活動を通して道祐・文観を介して後醍醐天皇と結びついていった。元弘元年(一三三一)赤坂城に挙兵、翌年護良親王の令旨を奉じて、赤坂城、千早城に奇策を弄して幕府軍を苦しめた。建武政権下では記録所・雑訟決断所などに登用された。従五位下摂津守・河内守。     
                          東京都神社庁「生命の言葉」より

四月の生命の言葉

「わが気に入らぬことが わがためになるものなり」鍋島直茂
「忠言耳に逆う」という言葉もある。自分の欠点を指摘されるのは、聞き苦しいことではあるが、気を鎮めて聞けば、自分のためになるものである。
                                   東西名言辞典参考

鍋島直茂(なべしまなおしげ)
天文七〜元和四(一五三八〜一六一八)。戦国・安土桃山時代の武将。佐賀藩の藩祖。清房の子。龍造寺隆信に仕え、備前佐賀郡今山で大友軍を夜襲して撃退し、以来隆信幕下の武将として筑後・肥後方面を攻略した。隆信が敗死すると、隆信の病弱な嫡子龍造寺政家に代わり龍造寺家臣団を率い、豊臣秀吉の島津討伐、文禄・慶長の役で軍功をあげ、佐賀領国支配の実権を握った。
東京都神社庁「生命の言葉」より

三月の生命の言葉

「人の長短は見易くおのれの是非は知り難し」伊藤東涯
 人の行動については厳しく批評するが、自分のことについては何らの反省もせず、平気でいる者に対する忠告である。人の「あらさがし」ばかりしてはいけない                              東西名言辞典参考

伊藤東涯(いとうとうがい)
 寛文十〜元文元(一六七〇〜一七三六)江戸時代中期の儒学者。京都堀川で生まれる。伊藤仁斎の長男。名は長胤(ながつぐ)字は原蔵・源蔵。幼時より父から家学を受け、学問に優れ末弟の伊藤才蔵と共に堀川の首尾蔵といわれた。父の死後古義堂二代を継ぎ、町学者として終始した。父の著述の稿本を整理・補正して刊行。また父の学問の祖述・普及に努めた。

東京都神社庁「生命の言葉」より

二月の命の言葉

「外その威儀正しければ内その徳正し」山鹿素行
正しい行動をするには、まずその外観を正しくしなければならない。姿勢が正しくなければその考える事も曲がってくるものである。

山鹿素行(やまがそこう)
元和八〜貞享二(一六二二〜一六ハ五)。江戸時代前期の儒学者、兵学者。会津若松で生まれる。名は高祐。林羅山に朱子学を学び、小幡景憲から甲州流兵学の免許を得る。儒・老荘・禅・神道を極めた。著書には「中朝事実」「武教要録」「山鹿語類」「山鹿素行集」などがあり、「中朝事実」では独自な神儒合一論にたつ神道説を展開している。その独自な儒教説は古学の先駆として位置づけられている。

新年昇殿祈願の受付時間

新年の昇殿祈願の受付時間ですが、多少変更になりますのでご了承下さい。
 

 ○平成20年12月31日 23時30分 より
  平成21年 1月 1日  2時30分
 

 ○平成21年 1月 1日  7時30分 より
  平成21年 1月 1日 17時00分
 

 ○平成21年 1月 2日  8時00分 より
  平成21年 1月 2日 17時00分
 

 ○平成21年 1月 3日  8時00分 より
  平成21年 1月 3日 17時00分
 

 ○平成21年 1月 4日  8時30分 より
  平成21年 1月 4日 16時00分
  

 上記の受付時間となります。
 なお、祈願受付された後、かなりの時間お待たせしてしまう場合がございます。申し訳ございませんがご了承下さい。