五月の生命の言葉

「遊びも度重なれば楽しからず珍膳も毎日食えばうまからず」楠木正成
正成の座右の銘の一条である。歓楽というものはその度合いが過ぎると、もう楽しみではなくなる。人は歓楽を目的とし生きるものではなく、人の勤めは人としての仕事に精を出すということである。

楠木正成(くすのきまさしげ)
生年不詳〜建武三(生年不詳〜一三三六)南北朝時代の武将。河内の土豪。楠木正遠の子という。畿内西部で商業などを営み、この活動を通して道祐・文観を介して後醍醐天皇と結びついていった。元弘元年(一三三一)赤坂城に挙兵、翌年護良親王の令旨を奉じて、赤坂城、千早城に奇策を弄して幕府軍を苦しめた。建武政権下では記録所・雑訟決断所などに登用された。従五位下摂津守・河内守。     
                          東京都神社庁「生命の言葉」より

四月の生命の言葉

「わが気に入らぬことが わがためになるものなり」鍋島直茂
「忠言耳に逆う」という言葉もある。自分の欠点を指摘されるのは、聞き苦しいことではあるが、気を鎮めて聞けば、自分のためになるものである。
                                   東西名言辞典参考

鍋島直茂(なべしまなおしげ)
天文七〜元和四(一五三八〜一六一八)。戦国・安土桃山時代の武将。佐賀藩の藩祖。清房の子。龍造寺隆信に仕え、備前佐賀郡今山で大友軍を夜襲して撃退し、以来隆信幕下の武将として筑後・肥後方面を攻略した。隆信が敗死すると、隆信の病弱な嫡子龍造寺政家に代わり龍造寺家臣団を率い、豊臣秀吉の島津討伐、文禄・慶長の役で軍功をあげ、佐賀領国支配の実権を握った。
東京都神社庁「生命の言葉」より

三月の生命の言葉

「人の長短は見易くおのれの是非は知り難し」伊藤東涯
 人の行動については厳しく批評するが、自分のことについては何らの反省もせず、平気でいる者に対する忠告である。人の「あらさがし」ばかりしてはいけない                              東西名言辞典参考

伊藤東涯(いとうとうがい)
 寛文十〜元文元(一六七〇〜一七三六)江戸時代中期の儒学者。京都堀川で生まれる。伊藤仁斎の長男。名は長胤(ながつぐ)字は原蔵・源蔵。幼時より父から家学を受け、学問に優れ末弟の伊藤才蔵と共に堀川の首尾蔵といわれた。父の死後古義堂二代を継ぎ、町学者として終始した。父の著述の稿本を整理・補正して刊行。また父の学問の祖述・普及に努めた。

東京都神社庁「生命の言葉」より

二月の命の言葉

「外その威儀正しければ内その徳正し」山鹿素行
正しい行動をするには、まずその外観を正しくしなければならない。姿勢が正しくなければその考える事も曲がってくるものである。

山鹿素行(やまがそこう)
元和八〜貞享二(一六二二〜一六ハ五)。江戸時代前期の儒学者、兵学者。会津若松で生まれる。名は高祐。林羅山に朱子学を学び、小幡景憲から甲州流兵学の免許を得る。儒・老荘・禅・神道を極めた。著書には「中朝事実」「武教要録」「山鹿語類」「山鹿素行集」などがあり、「中朝事実」では独自な神儒合一論にたつ神道説を展開している。その独自な儒教説は古学の先駆として位置づけられている。

新年昇殿祈願の受付時間

新年の昇殿祈願の受付時間ですが、多少変更になりますのでご了承下さい。
 

 ○平成20年12月31日 23時30分 より
  平成21年 1月 1日  2時30分
 

 ○平成21年 1月 1日  7時30分 より
  平成21年 1月 1日 17時00分
 

 ○平成21年 1月 2日  8時00分 より
  平成21年 1月 2日 17時00分
 

 ○平成21年 1月 3日  8時00分 より
  平成21年 1月 3日 17時00分
 

 ○平成21年 1月 4日  8時30分 より
  平成21年 1月 4日 16時00分
  

 上記の受付時間となります。
 なお、祈願受付された後、かなりの時間お待たせしてしまう場合がございます。申し訳ございませんがご了承下さい。

十二月の命の言葉

「我が物と思えば軽し笠の雪」宝井其角
いやいや荷物を持てば、本当は軽いはずのものも重く感じてしまう。人生は心の置きところひとつで、楽しくもなり悲しくもなる。ものの見方を変え、心を積極的肯定的に向けて行けば、難有るもまた有り難しである。            
宝井其角(たからいきかく)一六六一〜一七〇七(寛文元年〜宝永四年)江戸時代前期の俳諧師。江戸堀江町で近江国膳所藩御殿医・竹下東順の長男として生まれる。松尾芭蕉の門に入り俳諧を学ぶ。芭蕉十哲の第一の門弟と言われている。芭蕉の没後は日本橋茅場町に江戸座を開き、江戸俳諧では一番の勢力となる。

東京都神社庁「生命の言葉」より

十一月の命の言葉

「人を相手とせず天を相手とせよ」西郷隆盛
『大西郷遺訓』にある言葉。これに続いて「天を相手として己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」とある。人がどう思うかより、天意にそった生き方をしているかどうかが大事なのである。

西郷隆盛(さいごうたかもり)
一八二七〜一八七七(文政十年〜明治十年)武士・薩摩藩士・軍人・政治家。薩摩国鹿児島城下の下加治屋で御勘定方小頭の長男として生まれる。藩主島津斉彬に抜擢され、当代一の開明派大名の強い影響を受けた。禁門の変以降に活躍し、薩長同盟の成立や王政復古に成功し戊辰戦争を巧みに主導して、江戸城無血開城を実現した。薩摩藩の大久保利通と長州藩の木戸孝允と並び「維新の三傑」と称される。
東京都神社庁「生命の言葉」より

十月の命の言葉

「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」伊達政宗
「この世に客に来たと思えば何の苦もなし朝夕の食事はうまからずとも褒めて食うべし。元来客の身なれば好き嫌いは申されまじ」と続く。人間の欲というものは実に際限がない。そこからいらざる不平不満が頭をもたげ、ついには身の破綻にもつながる。この世に今あるのも客の身分と思えば、全て有り難く感謝できる。

伊達政宗(だてまさむね)
一五六七〜一六三六(永禄十年〜寛永十三年)戦国時代から江戸時代初期の武将・大名。仙台藩初代藩主。米沢城主伊達輝宗の長男として生まれる。仙台藩六十二万石の基礎を築く。幼少の頃に右眼を失明し、世に「独眼竜」と呼ばれた。明治七年、伊達家旧臣達が遺徳を偲び青葉神社を創祀して武振彦命(たけふるひこのみこと)の神号が贈られた。

九月の命の言葉

「一燈を提げて暗夜を行く 暗夜を憂ふるなかれ 只一燈を頼め」佐藤一斎
 一条の光さえ見えてこない真っ暗闇のなかにあっては、ただただ己の持つ燈だけが頼りだ。たとえ先が見えてこなくとも、いたずらに憂うことなく自らを信じて進むべきである。

佐藤一斎(さとういっさい)
 一七七二〜一八五九(安永元年〜安政六年)江戸時代後期の儒学者。美濃岩村藩の家老佐藤信由の次男として、江戸浜町の下屋敷で生まれる。三十四歳で朱子学の宗家林家の塾長となり、大学頭の林述斎とともに多くの門下生の指導に当たった。一八四一年(天保十二年)述斎が没したため幕府の学問所昌平黌の儒官(総長)となる。

八月の命の言葉

「人に勝つより自分に勝て」(嘉納治五郎)
成功しようとしたり、他人より優れた人物になろうとする者は、まず自分自身の欲望を克服しなければならない。

嘉納治五郎(かのうじごろう)
一八六〇〜一九三八(万延元年〜昭和十三年)明治から昭和にかけての柔道家・教育家。摂津国御影村に嘉納治朗作、定子の三男として生まれる。東京帝国大学卒業。講道館柔道の創始者であり、柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力する。「柔道の父」と呼ばれる。