八月の生命の言葉

「とこしへに 民やすかれと いのるなる わが世をまもれ 伊勢のおほかみ」明治天皇
永遠に人々が安らかに暮らせるようにと祈りを捧げよう。伊勢の大神よ、どうか世の中を守ってください。『明治天皇御集』

明治天皇(めいじてんのう)
一八五二〜一九一二年。明治二十四年、「社頭祈世」と題して歌われたもの。平成二十五年、伊勢神宮では第六十二回式年遷宮の最も重要な祭典、遷御の儀が行われる。二十年に一度、御社殿、御神宝、御装束などが全て一新される式年遷宮は、千三百年続けられてきた日本の祈りに他ならない。
                      東京都神社庁「生命」の言葉より

七月の生命の言葉

「自分のしている事が、自分の目的(エンド)になっていない程苦しい事はない」夏目漱石
目的と手段が直結しづらい世の中。目的や生きがいを持てずに仕事を続けるのは大変な苦痛である。『行人』

夏目漱石(なつめそうせき)
一八六七〜一九一六年。小説家。名は金之助。東京出身。東大英文科を卒業後、英語教師を経てイギリスに留学。『我輩は猫である』などで知られる。『行人』では自我を鋭く分析し知識人の心に潜む利己主義を描いた。この言葉には、しかし、不本意さに甘んじず、目的にストレートに向かう熱意と努力が必要だという思いが込められている。        東京都神社庁「生命」の言葉より

六月の生命の言葉

「人の親の心は闇にあらねども 子を思う道にまどひぬるかな」藤原兼輔
親の心は夜の闇ではない。しかし、子どものことを思うと、まっくらな闇を進むようで、迷い、途方に暮れるばかりである。『後撰集』

藤原兼輔(ふじわらかねすけ)
八七七〜九三三年。平安時代の歌人。三十六歌仙の一人。紫式部の曽祖父。賀茂川堤の近くに住んでいたことから堤中納言と呼ばれた。この歌は娘・桑子が醍醐天皇に嫁いだ後の心配でならない心を詠んだもの。いつの時代も子を思い、悩む親の心は変わらないものである。
                        東京都神社庁「生命の言葉」より

五月の生命の言葉

「和魂漢才」菅原道真
日本人としての魂を忘れずに、祖国を愛する心を持ったうえで、世界人として国外に広い知識を求めて勉強せよという教え。『菅家遺誡』

菅原道真(すがわらのみちざね)
八四五年〜九〇三年。平安時代の官吏。詩歌文章に優れ右大臣にまで昇進したが、左大臣・藤原時平の讒言にあって太宰権師に左遷され、延喜三年(九〇三)、大宰府にて崩じた。没後、京の都ではさまざまな天変地異が起き、これらは道真の祟りと信じられ恐れられた。大宰府天満宮、北野天満宮などに祀られ、現在では学問の神として知られる。
                       東京都神社庁「生命の言葉」より。

四月の生命の言葉

「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」吉田松陰
誠意を尽くして事にあたれば、どのようなものでも必ず動かすことができる。物事や人を突き動かす上で「誠」の心がいかに大切かを説いた言葉。『吉田松陰名語録』

吉田松陰(よしだしょういん)
一八三〇〜一八五九年。萩(長州)藩士杉百合之助の二男として萩市に生まれ、山鹿流兵学師範吉田大助の養子となる。松下村塾を主宰し、生徒の自由と個性を重んじながら実践的な学問を教授し、高杉晋作、久坂玄瑞など多くの人材を輩出した。            東京都神社庁「生命の言葉」より

三月の生命の言葉

「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」相田みつを
人間は失敗する。その能力に限りがあるからである。また、人間は挫折する。夢やあこがれを抱く存在だからである。失敗も挫折も、それが人間である証と思い、乗り越えていかなくてはいけない。『にんげんだもの』

相田みつを(あいだみつを)
一九二四〜一九九一年。書家・詩人。栃木県足利市出身。十代の頃から歌と書を学び、在家のまま仏法を修めながら自分だけの詩と書を追及し独自の境地を切り開いた。人間の弱さや過ちを包み込んで元気づけるような心温まる作品を数多く残している。
                       東京都神社庁「生命の言葉」より

二月の生命の言葉

「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」高村光太郎
自ら進む道は自分の力で切り開いていかなくてはいけない。その歩みを続けていった結果が「人生」という一本の道となる。『道程』

高村光太郎(たかむらこうたろう)
一八八三〜一九五六年。詩人・彫刻家。美術学校卒業後、欧米に遊学。ロダンに傾倒、帰国後日本の近代彫刻を開拓し、欧米の芸術思潮の紹介や美術批評にも力を注いだ。詩集に『智恵子抄』                                                東京都神社庁「生命の言葉」より

一月の生命の言葉

年頭 まず自ら意気を新たにすべし  安岡正篤
以下、「年頭古き悔恨を棄つべし 年頭決然滞事(とどこおっていること)を一掃すべし 年頭新たに一善事を発願すべし 年頭新たに一佳書(良い書物)を読み始むべし」と続く。 『安岡正篤一日一言』致知出版社

安岡正篤(やすおかまさひろ)
1898年〜1983年。陽明学者、思想家。大阪出身。東洋思想を研究、日本主義による国政改革を唱えた。有力な政治家や財界人の師として仰がれた。平成の元号の考案者と言われる。この言葉は「年頭自警」と題して書かれたもの。一年の計は元旦にあり。年末の大祓いにくよくよした悩みごとをきっぱりと洗い流し、心機一転、広々とした心で行きたいものである。
                         東京都神社庁「生命の言葉」より

正月三が日の開門閉門時間について

正月三が日の開門閉門時間をお知らせいたします。
元日(日) 大晦日の23時30分より開門して、19時に閉まります。
2日(月) 6時15分より開門して、18時に閉まります。
3日(火) 6時15分より開門して、18時に閉まります。

以上宜しくお願いいたします。

十二月の生命の言葉

「世のなかの よきもあしきも ことごとに 神のこころの しわざにぞある」本居宣長
世の中の良いことも、悪いことも、全て神さまの心がなさることなのである。『玉鉾百首』

本居宣長(もとおりのりなが)
一七三〇〜一八〇一年。江戸時代の国学者・歌人。三重県松阪市の人。医業のかたわら『古事記』『源氏物語』『万葉集』など日本の古典を研究した。神さまは大いなる恵みも授ける一方で、時に荒ぶり天変地異なども引き起こす。人生に起きる良いこと悪いこと、それらも全て神から与えられたものだと受け入れてこそ、前向きに生きていくことができる。
                        東京都神社庁「生命の言葉」より